- 第三夜(承前) -

「これにてご満足いただけましたか」

 詩人がそう尋ねなければ、人々はいつまでも物語の余韻にひたっていたに違いなかった。

 彼らは互いに顔を見合せ、詩人の語り口があまりに巧みなのでそら恐ろしいほどであると、無言で目配せしあった。

 ひとり、星の瞳の娘だけは違っていた。

「ずいぶんまともになったわね」

「あなたがお望みになるように」詩人はそう答えて、竪琴を布袋にしまいはじめた。

「もう帰るの」

「ええ。泊めてくださるようにと、お頼みするのもあきらめました。明晩はいよいよ月のない夜。闇夜なれば、この地を訪れることはかなわぬわざ……。みなさまとは、これでお別れです」詩人は立ち上がり、ひとりずつ、人々の眼をとらえて微笑した。「つきましては、物語のお代をいただけませんでしょうか」

「物語の?」

 だれかが問い返すと、詩人はうなずいた。

「祭りを見ることがかないましたら、それで代価とするつもりでした。けれど、それはかなわぬ願いとなりました。いかがでしょう、私の物語がみなさまを楽しませなかったというのなら、無理は申しませんが」

「楽しくなぞなかったわ」

 吐き捨てるようにいったのは、いつもの青年である。黄色い髪に巻いた褪せた水色の布は、この地方では、一族の長をあらわす。

 そうと知ってか知らずか、詩人は彼に歩み寄り、優雅に跪いた。

「あなたは楽しまれました。その証拠に、毎夜ここにいらっしゃったではありませんか」

「おまえのために来たのではない。私がいるところに、おまえがあらわれたのだ」

 傲然と、若い長はいった。

 詩人はその闇夜にもたとうべき眼をかがやかせて、しばし若い長をみつめていた。

 が、やがて立ち上がると、「私の欲しいものは、今は手に入れられぬものとわかりました。いずれまた、時期が来たらいただきにあがりましょう」そういって、静かに酒場を出ていった。

 それに遅れることほんの数瞬。

 星の瞳の娘が、その後を追って酒場を走り出た。

「待って!」娘は詩人の上着の裾をひいた。「今から帰るのはあぶないわ。月がほそければほそいほど、流砂は餓えているというわ。今度こそ、呑みこまれてしまう」

 詩人は考え深げな眼を娘に向け、わずかに首を傾げた。

「しかし、わたしを泊めてくれるひとは、この街にはいないようだ」

「わたしのところへいらっしゃい」娘はそういって、さらに強く詩人の上着をひいた。

「……悪い評判がたつよ」

「もう遅いわ。あなたのようないいかたをすれば、わたしのたましいは、もう二晩も前にあなたに奪われてしまっているのだから」

「しかし……」

「物語の代価よ。わたしはとても楽しんだもの。これくらい、惜しくないわ」

 詩人は肩を落とし、ちいさな吐息をついてからこう答えた。

「では、案内をお願いしようか」

 娘はうれしそうに笑うと、彼の手をひいて歩きだした。

 娘の住まいは街はずれのちいさな家で、ほかの家と同様、壁は白く塗られている。

illustration by Ridoru

「はやく」娘は詩人を家の中に押し込むと、あたりに人影がないのを確認して、自分も中に入った。

 それから、ふたりは愛をかわした。

 詩人は髪にさした翡翠のピンを娘に与え、ふと思いついたように尋ねた。

「そういえば、あなたの名さえ知らない」

「トゥルキア」娘はそういって、翡翠のピンをつややかな黒絹の髪にさした。「あなたは? まさかヤーヌーシュというのではないでしょうね……まるで、物語に出てきた若者のようだけれど」

「……彼のように、闇の御子の生まれ変わりといわれたことはあるよ」

「ほんとうに?」

 詩人は声をひそめて笑った。

「わたしが嘘をついても、あなたにはわからないだろうけれど……ほんとうだよ。ただ、もうずいぶん昔のことだ」

「あちこち旅をして、いろいろなことを知っているのでしょうね」

 トゥルキアの声は、どこかうらやましげな響きを含んでいる。

「そう。でも、知らないことのほうが多いんじゃないかな。たとえば、ヤーヌーシュとウルトゥアーンがどこに消えたのか……まあ、一説がないわけじゃないが」

「教えて」そういって、トゥルキアは彼の指先にくちづけた。「わたし、知りたいわ」

「あなたにみつめられると、なんでも喋ってしまうな。では、ハルウィオンをとって」

 娘が布袋から楽器をとり出すと、詩人は半身を起こし、壁にもたれてそれを受け取った。娘は彼の邪魔にならないように、そっと寄り添った。

「あまり大きな音はだせないけれど、これはひそやかな物語だから、ちょうどいい」

 そういって、詩人は次のような物語を語った。