- 第一夜 -

 その年の祭りが近いある夜、街の唯一の娯楽場であるちいさな酒場に、ふらりとあらわれた旅人があった。

 腰まで垂らしたすこしくせのある黒髪と、深い青の長衣を風にばたつかせながら、その青年は酒場の戸口をくぐった。肩からかけた豪奢な織りの上着から塵を払いおとし、青年は顔を上げた。

 その黒瞳は、月のない夜を思わせた——底無しの黒に、青白い星の光を散りばめたようなかがやかしさが宿っていたので。

 青年は、いあわせた人々に向かって微笑んだ。

「わたしは詩人なのですが……」だれも口をはさまないのを見てとって、彼はことばをついだ。「こちらで祭りがあると聞いたので、はるばるやって参りました。歌もうたいますし、物語もいたします。舞楽も奏しましょう」

 すると、酒場の隅にわだかまった闇の中から、ゆらりと人影が立ち上がった。

「だれに聞いたのだ、祭りがあると」

 詩人と名のった青年と、同じくらいの年頃であったろうか。その声音はするどく、詩人のやわらかなものいいとは対照的であった。

「風のたよりに」答えると、詩人は酒場の中ほどまで進み出て、粗末な木の椅子に腰をおろした。

「それでは答えになっていない」

「私は嘘はつきませんよ」

illustration by Ridoru

 肩からかけていた布袋をそっとテーブルの上に置き、彼は中身をとり出した。

 それは、優美な曲線を描く、見たこともないようなかたちの楽器だった——楽器であるということは、幾本もはられた弦を見れば、だれにでもわかった。

 竪琴、と詩人はその楽器を呼んだ。「ハルウィオン、というのです。けれど、この楽器をそう呼んでいた人々は、もう滅びてしまった——これが最後のひとつでしょう」

 彼はそれを、左腕にもたせるようにして膝の上にのせ、ぴんとはりつめた白銀の弦をはじいてみせた。

 その音は、風がささやくようでもあり、光がはじけるようでもあった。

「祭りには音楽が必要でしょう」

 そういって、詩人は周囲を見回した。

 すると、先ほどの青年が、またこういった。

「祭りに他所者はいらん」

「それはつれない」

「……詩人とやら」次に声をかけたのは、酒杯を手にした老人だった。おちくぼんだ眼孔の奥で、その両眼は黄水晶のごとき光芒をはなっている。「物語をするとな」

「はい」

「もう……ながいこと、聞いておらんな」

「では、お聞かせしましょう。どのような物語をお好みでしょうか」

 老人はうつむいて、なにごとか考えているようであった。ながい沈黙を破って、年若い娘がこう答えた。

「美しいのがいいわ」

「美しさにも、さまざまありますが」そういって、詩人は娘を見やった。「あなたは若くて美しい。谷間に咲くという黒百合のうすい花弁をほどいて、絹のようにつやが出るまですいたなら、あなたの髪にも比べることができましょうか。西天に夕日がおちたあと、空にかがやくひとつ星ならば、あなたのその眼より青くきらめくでしょうか——でも、あれはふたつとない。その美しいものを、あなたはそのかがやかしい顔にふたつも嵌めこんでいて、そのうえで、美しい物語を聞きたいというのは、贅沢な望みではありませんか」

 と問い返すと、詩人は首をかしげた。そのひょうしに、左の耳にさげた精巧な飾りが髪のあいだからのぞいた。白くかがやくほそい銀線に、虹のごとき光芒をはなつ金剛石をとらえたその耳飾りは、ひらたく延べた銀の小片が先にいくつも下がっていて、彼の動きにあわせて、かすかな音を響かせるのだった。

「贅沢かしら?」

 娘はすこしもたじろがず、まっこうから訪問者を見つめた。

 すると、相手はそっと眼を伏せて、竪琴に指をはしらせた。それから、次のような物語を語った。