覇王アームラターの御代のことである。南の王国のそのまた南のはずれ、大河イールーンのほとりに、ひとりの赤子が生を受けた。
その子が生まれたのは夏の黄昏時であり、赤くもえる西の空に、星がひとつ流れたという。
それにちなんで、村の占い師は赤子にヤーヌーシュと名づけた。ヤーンとは落ちるの意であり、ウーシュは赤い星をあらわす。
ヤーヌーシュは長じて美々しい若者となった。村人たちは彼をひそかに『闇の御子の生まれ変わり』と呼び、彼もまた自らをそう信じていた。
だれが疑おうか、この若者を見て。
彼の髪は黒々としてなめらかであり、その眼は神殿の奥殿に燃えるほのおよりも明るくかがやいた。
彼の動きは、そのひとつひとつが名工の手で彫られた彫像のごとく美しく、彼の声はまた、音楽にも似た響きをもって空気をふるわせるのだった。
だれもがヤーヌーシュは人並みでない一生を送るであろうと思った。
ヤーヌーシュもそう考えた。
その動きの美しさから、彼は一流の踊り手になり得た。王都ラングールに赴いて、神舞を学ぶこともできたであろう。
しかし、ヤーヌーシュは村の祭りで踊るだけであった。
人々はうわさした。
——ヤーヌーシュには、もっとすばらしい人生が待っているのだろうさ。
その声の美しさから、彼はうたびとにもなり得た。風の塔のうたびとが村にあらわれたとき、人々はいよいよ彼の栄達への道がひらけるのかと期待した。
「うたびとになろうという志願者はおらぬか」
うたびとは、村の広場でそう尋ねた。その声はたしかに鍛えられたみごとなものであったが、ヤーヌーシュの声のほうがはるかに美しい、と人々は思った。
「都に出て、風の塔に入ろうと思う者はおらぬか。王の御前で神謡をうたわんと思う者はおらぬか。大祭において、神の面をつけんと思う者はおらぬか」
しかし、ヤーヌーシュはひと声も発することなく、うたびとは村を去った。
人々はうわさした。
——そうだ。歌うたいなど、ヤーヌーシュのやるべきことではない。あの若者には、もっとすばらしい未来が待っているのだ。
そうして『闇の御子の生まれ変わり』のうわさは、ゆっくりと大河にそってひろまっていった。
ある日、きらびやかな衣装を身につけた男が、六人の供をひき連れて、村を訪れた。
「闇の御子の生まれ変わりというのは、いずこにおる」
村人たちはおどろいて、その身分の高そうな男を、ヤーヌーシュのもとへ案内した。
「私はクシュラの領主、リグナータさまの使いの者である」
そう名のった男は、ヤーヌーシュをひとめ見たとたん、居丈高な態度をひっこめた。
ヤーヌーシュはみすぼらしい小屋の片隅に座っていたが、その挙措は王者の気品に満ちており、なにより、その眼に宿る昏いほのおが、使者の心を射すくめたのだった。
「……あなたさまが、闇の御子の生まれ変わりでいらっしゃいますか」
若者は、答えなかった。ただ、ひとつまばたきしたのみである。
その前に、使者はひれ伏した。
「我が主人リグナータが、ぜひあなたさまをお連れいたせと私めに命じました。できますれば、私とともにクシュラへおいでください」
しばし、沈黙がおりた。
やがて、ヤーヌーシュはものもいわずに立ち上がると、小屋を出ていった。後からあわてて使者とその一行がつづき、村のはずれで追いついて、彼らはそのままクシュラへと向かった。
クシュラの宮殿は、黒い石を積み上げてつくられていた。
磨き上げられたその表面に日の光があたると、それはみごとにかがやいたので、その城は、ウルトゥアーンと呼ばれた。かがやく闇、というほどの意である。
ヤーヌーシュはその宮殿で、城主でありその一帯をおさめる藩王、リグナータに拝した。
リグナータは壮年の美丈夫で、ヤーヌーシュを見ても、使者ほどおどろきもせねば、畏れもしなかった。
「そなた、名はなんと」
「ヤーヌーシュ」
「不吉な名だな」
リグナータはそれだけいって、玉座の後ろに消えた。
「こちらへ」
頭から白い布をかぶった女が、顔を隠すようにその布の端をかかげて、広間の隅から彼を招いた。
ヤーヌーシュは、招かれるままにそちらへ歩いていった。
入り組んだ廊下を歩きながら、女はこんなことを問うた。
「リグナータさまには、姫がおられます。ご存じか」
「知らぬ」
クシュラに着いてはじめて、彼は口をひらいた。
女はかかげた布をわずかにおろし、若者の方をちらりと見た。
「姫さまの御名は、この城と同じ。ウルトゥアーンさまとおっしゃいます」女はヤーヌーシュをテラスへ導いた。外は夜であり、手をのばせば星に届きそうなほどであった。「ウルトゥアーンさまは、ひと月前からご病気でいらっしゃる。ご存じか」
「知らぬ」
「たましいを、盗まれたのじゃ」
女はそういって、かぶりものを脱いだ。布端をつまんだ手の先に、なにかするどくかがやくものが見えた。
「だれに盗まれたかとお尋ねしたら、闇の御子に、と姫さまはいわれた」
「おれは知らぬ」
さしもものに動じぬヤーヌーシュも、そのかたちよい眉をあげた。女の気迫が並々ならぬことを感じとったので。
「姫さまのたましいをお返し」
今では見間違いようもなかった。女が布にはさんで持っているのは、星の光をあつめたような、白い刃の短刀であった。
「おれではない」
「闇の御子の生まれ変わりと、聞いたぞ」
「そうだ」ヤーヌーシュはその眼をきらめかせて答えた。「おれは確かに闇の御子の生まれ変わりだ。その、ウルトゥアーン姫とやらのたましいを奪った相手こそ、己れの分をわきまえず、闇の御子と自らを詐称したに相違ない」
「では、そなたは違うというのだな」
「そうだ。姫とは会ったこともない」
しばし女はヤーヌーシュを見つめていた。
「姫に会わせよ」ヤーヌーシュはそういって、露台をふちどるなめらかな欄干にもたれかかった。いかにもくつろいだようすである。「さすればわかろう。おれはウルトゥアーンなぞという娘には会ったこともない」
不敵に笑ったその美貌は、まさに闇の御子の生まれ変わりと称するにふさわしかった。
女は眉をひそめた。
「それも道理。したが、そなたのごとき不埒者、姫さまの前にはとてもお出しすることはできぬ」
「不埒はどちらだ。おれは神の生まれ変わりぞ」
「……知らぬか」女は紅を塗ったくちびるを、笑いのかたちにひきしぼった。「神は、天におわすればこその神。地上に一歩おり立たば、そのときから魔となる」
「闇の御子は魔王であるぞ」
「そうじゃ。神ではない」
いきなり、女は短刀をふりかざした。
あっと思う暇もなかった。
それこそ神業にもひとしい技量で、女はヤーヌーシュの顔を削ぎ落とした。
「ああ……」
もらした苦鳴すら、音楽のごとし。倒れ伏したその姿すら、星あかりのもとで一幅の絵と化した。
「そなたの自慢の顔、たしかに姫にお見せしようぞ」
そういって、女はその場を走り去った。
そのとき女が削ぎとったその顔は、持ち主からはなれてもなお、あまりに美しかった。
けれど、それを見たウルトゥアーンは、「違う」とだけしかいわなかったという。
ヤーヌーシュの顔は美しいまま硬化し、天工の細工かと思われるほどのみごとな仮面となった。
その仮面は今でもこの世のどこかにあり、それを闇の御子のみしるしとしてあがめる街もあるという。
ヤーヌーシュの行方は、杳として知れぬ。