- 第一話 墜ちゆく星 -

 覇王アームラターの御代のことである。南の王国のそのまた南のはずれ、大河イールーンのほとりに、ひとりの赤子が生を受けた。

 その子が生まれたのは夏の黄昏時であり、赤くもえる西の空に、星がひとつ流れたという。

illustration by Ridoru

 それにちなんで、村の占い師は赤子にヤーヌーシュと名づけた。ヤーンとは落ちるの意であり、ウーシュは赤い星をあらわす。

 ヤーヌーシュは長じて美々しい若者となった。村人たちは彼をひそかに『闇の御子の生まれ変わり』と呼び、彼もまた自らをそう信じていた。

 だれが疑おうか、この若者を見て。

 彼の髪は黒々としてなめらかであり、その眼は神殿の奥殿に燃えるほのおよりも明るくかがやいた。

 彼の動きは、そのひとつひとつが名工の手で彫られた彫像のごとく美しく、彼の声はまた、音楽にも似た響きをもって空気をふるわせるのだった。

 だれもがヤーヌーシュは人並みでない一生を送るであろうと思った。

 ヤーヌーシュもそう考えた。

 その動きの美しさから、彼は一流の踊り手になり得た。王都ラングールに赴いて、神舞を学ぶこともできたであろう。

 しかし、ヤーヌーシュは村の祭りで踊るだけであった。

 人々はうわさした。

 ——ヤーヌーシュには、もっとすばらしい人生が待っているのだろうさ。

 その声の美しさから、彼はうたびとにもなり得た。風の塔のうたびとが村にあらわれたとき、人々はいよいよ彼の栄達への道がひらけるのかと期待した。

「うたびとになろうという志願者はおらぬか」

 うたびとは、村の広場でそう尋ねた。その声はたしかに鍛えられたみごとなものであったが、ヤーヌーシュの声のほうがはるかに美しい、と人々は思った。

「都に出て、風の塔に入ろうと思う者はおらぬか。王の御前で神謡をうたわんと思う者はおらぬか。大祭において、神の面をつけんと思う者はおらぬか」

 しかし、ヤーヌーシュはひと声も発することなく、うたびとは村を去った。

 人々はうわさした。

 ——そうだ。歌うたいなど、ヤーヌーシュのやるべきことではない。あの若者には、もっとすばらしい未来が待っているのだ。

 そうして『闇の御子の生まれ変わり』のうわさは、ゆっくりと大河にそってひろまっていった。

 ある日、きらびやかな衣装を身につけた男が、六人の供をひき連れて、村を訪れた。

「闇の御子の生まれ変わりというのは、いずこにおる」

 村人たちはおどろいて、その身分の高そうな男を、ヤーヌーシュのもとへ案内した。

「私はクシュラの領主、リグナータさまの使いの者である」

 そう名のった男は、ヤーヌーシュをひとめ見たとたん、居丈高な態度をひっこめた。

 ヤーヌーシュはみすぼらしい小屋の片隅に座っていたが、その挙措は王者の気品に満ちており、なにより、その眼に宿る昏いほのおが、使者の心を射すくめたのだった。

「……あなたさまが、闇の御子の生まれ変わりでいらっしゃいますか」

 若者は、答えなかった。ただ、ひとつまばたきしたのみである。

 その前に、使者はひれ伏した。

「我が主人リグナータが、ぜひあなたさまをお連れいたせと私めに命じました。できますれば、私とともにクシュラへおいでください」

 しばし、沈黙がおりた。

 やがて、ヤーヌーシュはものもいわずに立ち上がると、小屋を出ていった。後からあわてて使者とその一行がつづき、村のはずれで追いついて、彼らはそのままクシュラへと向かった。

 クシュラの宮殿は、黒い石を積み上げてつくられていた。

 磨き上げられたその表面に日の光があたると、それはみごとにかがやいたので、その城は、ウルトゥアーンと呼ばれた。かがやく闇、というほどの意である。

 ヤーヌーシュはその宮殿で、城主でありその一帯をおさめる藩王、リグナータに拝した。

 リグナータは壮年の美丈夫で、ヤーヌーシュを見ても、使者ほどおどろきもせねば、畏れもしなかった。

「そなた、名はなんと」

「ヤーヌーシュ」

「不吉な名だな」

 リグナータはそれだけいって、玉座の後ろに消えた。

「こちらへ」

 頭から白い布をかぶった女が、顔を隠すようにその布の端をかかげて、広間の隅から彼を招いた。

 ヤーヌーシュは、招かれるままにそちらへ歩いていった。

 入り組んだ廊下を歩きながら、女はこんなことを問うた。

「リグナータさまには、姫がおられます。ご存じか」

「知らぬ」

 クシュラに着いてはじめて、彼は口をひらいた。

 女はかかげた布をわずかにおろし、若者の方をちらりと見た。

「姫さまの御名は、この城と同じ。ウルトゥアーンさまとおっしゃいます」女はヤーヌーシュをテラスへ導いた。外は夜であり、手をのばせば星に届きそうなほどであった。「ウルトゥアーンさまは、ひと月前からご病気でいらっしゃる。ご存じか」

「知らぬ」

「たましいを、盗まれたのじゃ」

 女はそういって、かぶりものを脱いだ。布端をつまんだ手の先に、なにかするどくかがやくものが見えた。

「だれに盗まれたかとお尋ねしたら、闇の御子に、と姫さまはいわれた」

「おれは知らぬ」

 さしもものに動じぬヤーヌーシュも、そのかたちよい眉をあげた。女の気迫が並々ならぬことを感じとったので。

「姫さまのたましいをお返し」

 今では見間違いようもなかった。女が布にはさんで持っているのは、星の光をあつめたような、白い刃の短刀であった。

「おれではない」

「闇の御子の生まれ変わりと、聞いたぞ」

「そうだ」ヤーヌーシュはその眼をきらめかせて答えた。「おれは確かに闇の御子の生まれ変わりだ。その、ウルトゥアーン姫とやらのたましいを奪った相手こそ、己れの分をわきまえず、闇の御子と自らを詐称したに相違ない」

「では、そなたは違うというのだな」

「そうだ。姫とは会ったこともない」

 しばし女はヤーヌーシュを見つめていた。

「姫に会わせよ」ヤーヌーシュはそういって、露台をふちどるなめらかな欄干にもたれかかった。いかにもくつろいだようすである。「さすればわかろう。おれはウルトゥアーンなぞという娘には会ったこともない」

 不敵に笑ったその美貌は、まさに闇の御子の生まれ変わりと称するにふさわしかった。

 女は眉をひそめた。

「それも道理。したが、そなたのごとき不埒者、姫さまの前にはとてもお出しすることはできぬ」

「不埒はどちらだ。おれは神の生まれ変わりぞ」

「……知らぬか」女は紅を塗ったくちびるを、笑いのかたちにひきしぼった。「神は、天におわすればこその神。地上に一歩おり立たば、そのときから魔となる」

「闇の御子は魔王であるぞ」

「そうじゃ。神ではない」

 いきなり、女は短刀をふりかざした。

 あっと思う暇もなかった。

 それこそ神業にもひとしい技量で、女はヤーヌーシュの顔を削ぎ落とした。
「ああ……」

 もらした苦鳴すら、音楽のごとし。倒れ伏したその姿すら、星あかりのもとで一幅の絵と化した。

「そなたの自慢の顔、たしかに姫にお見せしようぞ」

 そういって、女はその場を走り去った。

 そのとき女が削ぎとったその顔は、持ち主からはなれてもなお、あまりに美しかった。

けれど、それを見たウルトゥアーンは、「違う」とだけしかいわなかったという。

 ヤーヌーシュの顔は美しいまま硬化し、天工の細工かと思われるほどのみごとな仮面となった。

 その仮面は今でもこの世のどこかにあり、それを闇の御子のみしるしとしてあがめる街もあるという。

 ヤーヌーシュの行方は、杳として知れぬ。