北方版三国志、現時点での最新刊。文庫版毎月刊行中。ハードカバーは完結済み。
寝る前にちょっとだけ、と手にとった自分! 意志が弱すぎるぞ! なんでまた徹夜で読むかな。しかも「くー!」なシーンを何回も読み返したり。バカかー! そういうことしてこないだ風邪ひいたばっかりだよ!
は、ともかく。
例によって、三国志のおおまかな話の流れをご存じのかたにとってはともかく、まったく知りませんワというかたにとってはネタバレもいいところゆえ、読まずに閉じてくだされ。
六巻見せ場集
- ●馬超初登場
- 「錦馬超」と呼ばれる(衣裳も具足も戦ぶりも派手だったと思われる)西域の英雄、馬超登場。当然、父の馬騰も初登場。韓遂は名前のみ。
父の老いをそれなりに諦念をもって見ており、自分自身の力を正確に評価し、周囲の人となりや実力も冷静に判断している。孤高の人という感じ。呂布といい、従来の感覚では「わりと力まかせ/強いけどちょっとバカ?」的な武将のキャラ立てが異様にカッコいい北方版。
ごく個人的な、馬超の思い出。
昔、ファミコン(スーパーファミコンですらない時代)のシミュレーション・ゲームで『三国志 中原の覇者』ってのがあったのである。たしかナムコ。当時、シミュレーション・ゲーム未体験者だったわたしは、初心者にもオススメ! という紹介に心惹かれ、姉とともにこのゲームにトライ。
三国志に登場するさまざまな武将を自キャラとして選択できるゲームだったのだが、まず、しょっぱなに性格診断ゲームがあったのだ。それで「自分に近い武将」を選びましょう、というわけ。
これがねえ……。何回やっても馬超。「この質問は、ちょっと回答に迷ったかナー」という質問の回答を変更してみても、やっぱり馬超。馬超のスタート位置は西の端(そりゃそうだ)、配下に勇将はいても知将はおらず(自分も「強いし善いヤツだけどアタマはちょっとなー」という感じ)、知力が「まあ高いかな」と思えるのは韓遂だけで、これが油断するとすぐ裏切る!
計略も内政も打つ手なし状態で、アッという間に憤死! って感じだったのだ。そりゃゲームに慣れてる人、うまい人なら別だったろうが、三回ほどたてつづけにゲームオーバーになったら、もうやる気なしなし。
というわけで、馬超にはふしぎな愛着と憎悪が(笑)。
- ●曹操北伐
- 曹操の烏丸討伐、袁家の息子たちのいぶり出し。まあ、曹操の陣営は大きくなりすぎて、ゆるみそうになるのを、曹操本人がガンガン視察してはたるんでいる武将の首をはね、ピリリと引き締めている。組織は大きくなれば緩むのが当たり前だが、それを許さない曹操。
無論、北伐は成功裡に。
- ●諸葛亮孔明初登場
- 六巻にしていよいよ希代の軍師・孔明の登場。すげぇかっこいいんですけど、どうしましょう(どうしようもありません)。センシティヴに悩める青年でありつつ、怜悧な頭脳を持て余している天才でもあるというバランスで描かれている。好感度高し。まわりの武将がみんなオジサン化しているため、まだ二十代の孔明の若者くささが目立つのかも。
劉備の三回の訪問/説得は、非常にうまく描かれていると思う。心を乱してすまないと謝る劉備に、孔明が内心「ほんとうに乱してくれた」と思う一文が、なんか「くーっ」ときますな。「くーっ」と。
青雲の志を抱くべきか、それとも今の生活に満足すべきなのか。
青年の未来への希望と、現状を受け入れる諦念のあいだでの心の揺れというか。ういういしいなあ……。たしかに、どんなにアタマがよくても当時の彼は若かったのだな、とあらためていろいろ考える。
- ●郭嘉
- 北伐においての大々的な登用とその死。活躍シーン、あんまりなかったなあ。郭嘉は知将というか参謀というか軍師というか、そういう位置づけで、曹操に大いに期待されていた若者で、病を得て夭逝してしまったという流れは一緒。でも、死んだら役たたずという曹操様ったら冷たい! キャラ立ってるなあ。
ごく個人的な郭嘉の思い出。このキャラは吉川英治版三国志というより、NHKの人形劇『三国志』で個別認識した。穏やかな話しぶり(声をあてていたのは、孔明と同じく森本レオ氏だったのでは? ……と思うが、あまり記憶に自信がもてない)で、苛烈なキャラである曹操とうまいコンビという感じだったはず。
ちょうど、郭嘉の死と孔明の登場が入れ替わりくらいだったような気が。郭嘉が死んだ週は、非常に寂しい思いをしたのを覚えている。
- ●黄祖討伐
- 孫権、ついに父の無念を晴らす。周瑜が調練した水軍をみずから率い、周瑜自信には留守居を命じ、自分で自分を信じるための戦い。
孫権の慎重派っぷり、一族を雄飛させた父と、小覇王と呼ばれながら若くして死んだ孫策へのコンプレックスなどもうまく盛り込まれている。
- ●楽進、魯陽城
- 孔明、軍師としての初采配。いきなり趙雲と先陣を切ってたまげる。各将軍の信任を得るために、手っ取り早かったのだろうとは思うが、しかしなあ。
敵が囮として使った砦に、逆に敵の手勢を誘導し、火矢で燃やすという計略をうまくあてるものの、炎上する砦の兵から敵兵が飛びおりるという描写には、どうしても、九月のニューヨークのテロ事件を連想してしまい、やや辛かった。炎にまかれ、逃げ場を失い、飛び降りる。兵であるか民間人であるかの差はあれ、命が消えることに変わりはない。
戦争なのだ。なんとなく暗い気分になる。
- ●周瑜
- 周瑜の家庭生活とか(なんじゃそりゃ)。どうも周瑜にはあまり思い入れが持てないなあ。美貌の粋人だったらしいのだが。
- ●長坂の戦い
- かー! くー! きたきた。わたしの依怙贔屓キャラ、趙雲子竜が名を挙げた場所。劉備を慕う民とともに進軍したのは進軍速度をわざと遅らせ、曹操軍を追いつかせ、敗走すると見せて実は劉備軍の主力を温存する計略……ってそんな非道な。でもまたしても、そういう計略かー! となんだか説得されてしまう自分がここに。
趙雲はもちろん獅子奮迅の活躍。そもそも殿軍をつとめようと言いだすのも趙雲なら、隊を分けて敵に追わせ、全体が揃ったところで敵に痛撃を負わせよう、しんがりが無抵抗では、敵は列の戦闘まで一気に民を蹴散らしてこよう、これは必要なことだと思う――と、孔明に献策したのも趙雲。しかも、こんな台詞まで。
「頼もう、趙雲殿」
「私には、孔明殿のような軍略はない。この槍を遣って、はじめて人後に落ちぬと思えるだけだ。殿のために槍を遣える。その場を与えてくれたことに、感謝する」
死なないでくれ、と孔明は言おうとした。その時、趙雲はすでに駆け去っていた。(p.252)
どはー。わたしのミーハー愛をこれ以上刺激してどうするんですか趙雲様!(以下いろいろ略)
張飛が守っている橋までなんとか劉備の家族を全員渡し終えたところで、もう槍を持つのも馬に乗っているのも辛いくらい疲れたと感じるという描写があって、簡潔な一文なのに効果的。
張飛が弟分として育てていた王安が、趙雲とともにふたりの夫人を守って長坂橋まで駆け抜け、絶命。張飛、暴れる。敵兵、近寄れず。これが有名な張飛の「かかってこい」になるわけだ。その迫力の背景に、彼が厳しく育ててきた王安の死があるだけに、説得力が増す。うまいー。うますぎる!
ちょっと不満なのは、劉備が趙雲をねぎらうシーンがないことか。王安が死んじゃったからなあ……。王安の死は密度の濃い描写で泣ける。
今回はこのへんで。孔明が曹操との徹底抗戦か降伏かで揺れる呉に赴くところでおしまい。
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読了:2001.11.19 | 公開:2001.12.12 | 修正:2001.12.28