what i read: 三国志 五の巻 
八魁の星


書名三国志 五の巻 八魁の星
著者北方謙三 Kenzo Kitakata
発行所角川春樹事務所(ハルキ文庫/時代小説文庫)
発行日2001.10.18(角川春樹事務所/1997.06)
ISBN4894568969

 第五巻。ものすごい時間と手間をかけて感想文を書いている気がしないでもないこのシリーズ、今回こそ適度に短く簡潔に!

 以下、例によってネタバレなので、未読かつこれから読もうかなと思っておいでのかたはご覧にならないよう。






●袁紹VS曹操
 前巻での官渡の戦いの結果、袁紹は自分の領地に戻ることになるが、体調を崩し、ついに復調しないまま終わってしまう。後継者を決めていなかったばかりに起きた内紛、そしてそれを外から眺めてじっくり待つ曹操……。
 どの時代でも「戦で勝ち上がった者が次代への引き継ぎをする」のは難しい。なぜなら、かれらは個人の能力を示して上に登ったというのに、能力ではなく血縁での引き継ぎを望むからである。
 では個人の能力で引き継ぎをすればよいかというと、それは同時に乱世に戻るのと同義になってしまいがちだから、なかなかそうもいかない。難しいなあ。
 たとえば袁紹がはっきりと三男を後継と指名しようが、長男と指名しようが、やはり後継ぎを巡っての内紛は起きたのではないかなあ、と読みながら考える。勝っていても、負けていても。その骨肉の争いをソツなく利用する曹操の子孫もまた同様に権力争いをくりひろげていくことになるわけで、なんだか侘しいのぅ……。
 帝の周囲の人間を追い落とす謀略で大活躍した程イク[日+立(縦に重ねる)]が、曹操の気づかぬうちに周囲から疎まれている展開なども、うまい。そこで十面埋伏。文官にあまり献策させないように、という台詞もいい感じに決まっている。

●五斗米道VS張飛
 劉表軍の援軍としてまわされた張飛。劉璋軍としか戦ったことのなかった張衛は、歴戦の兵というものの底力をはじめて知り、自分も見聞を広めるべきだと思う――。
 張飛がここで、いい馬といい女房をゲット。
 一般には暴れん坊で気がきかないイメージの張飛だが、この『三国志』中では、かなり気のきく暴れん坊として行動しているのが心憎い。いつも劉備と関羽と張飛の三人でひとり、自分はそのなかで「暴れ役」と心得て動いているのだ。
 だから調練で厳しくして兵を殺したり、劉備が激昂を抑える以前に自分がわざと爆発して見せ、諌められることで劉備の「徳の将軍」としての性格づけを補強したりしている。
 その張飛が関羽とも劉備とも離れた場所で活躍し、馬と妻を得るというのが、ちょっと象徴的かもしれないなあ、と思った。
 宮仕えというか、義兄仕えというか、読んでいてたまに悲しくなり、もっと自由にやりなよ、と言いたくなってしまうだけに。

●孫権の江夏攻め
 勝ち戦だが、山岳部の反乱のせいで結果的に負け。周瑜が非常に冷淡な視線ですべてを見ていて、ふたり並ぶと孫権はまだ若いなと感じられる、好対照。しかしこの周瑜はいわゆる三国志的にやっぱり諸葛亮に嫉妬したりするのだろうかー? なんかタイプ違うような気がするのだが、はやく七巻出ないかなあ。ああ、もうじきか……。この本読んだのもう一ヶ月前だ……(ちょっと愕然)。

●放浪の軍師・徐庶
 諸葛亮を紹介したとして有名な軍師の徐庶が遂に登場。曹操軍に備えて州境に展開する劉備軍を、劉表の幕閣である伊籍とともに見に来て、つい献策してしまう。
 その後も、つい劉備の陣営に入り浸り、なんとなく意見したり軍学の講義をしたり。士官を頼まれれば断りはするが、なんとなく。自分でも、なぜこんなことをしているのかと思いつつ。ずるずると。
 八門金鎖の陣を破ったことから曹操に存在が知れてしまうという展開は、よく知られた三国志のままだが、歌をうたいつつ自ら士官してきたという話にはなっていない。

●成玄固
 おそらく北方三国志オリジナルの登場人物であろう、馬の扱いにたけた隻腕の兵士。負傷した赤兎馬を在りし日の呂布から預かり、今もその世話をしている。北方、遊牧民族の領土付近で馬を育て、あちこちに売っている。そのため、牧場を戦場にしてくれるなと曹操のもとへ言いに来たのが洪紀。これは劉備が馬泥棒から馬を取り返したときに連れていた若者で、一巻冒頭、関羽や張飛が劉備と出会ったときからの登場人物。
 で、興味を持った曹操が成玄固に会いに行くというエピソードである。もはやいなくなった呂布の影がまだ人々のあいだに拭いがたく残っていることを告げる、名場面。以下、本文より引用。
「赤兎馬も、老いたであろう、成玄固?」
「はい。人の歳で測れば、もう老人でございます」
「いい余生なのかな?」
「どうでございましょう。いまだに、呂布様を忘れてはおりません。私には、それがよくわかります」
「成玄固殿、礼を申します」
 張遼が出てきて言った。
「赤兎が死ぬことを、呂布様は恐れておられました。ここまで長命を保つとは、赤兎と別れても呂布様にとっては本望でありましょう」
「張遼殿。赤兎は死にません。われらの心の中で、決して呂布様が死なぬのと同じように」
「そうか。そうだな。赤兎は死なぬ」
「もうよい」
 曹操が口を挟んだのは、羨しさに似た感情に襲われたからだった。
 自分がどこかの戦場で果てたとして、心の中では生き続けている、と言ってくれる人間が何人いるのか。(p.264-265)
 いやあ、曹操様の方が有名ですよ……。
 ってまた張遼と曹操の登場シーンになってしまったなあ。どうも張遼は曹操がうち破ったり別れたりした武将と親交があるという位置づけ上、いいシーンにいるような気が。まさかこれを知らない人がこの感想文を読んでいるとは思いづらいが、一応書いておくと、張遼は、曹操のもとに降る前は呂布の下で戦っていた。

●徐庶との別れ
 へたに難しい陣立てを破ったせいで、徐庶の存在が曹操に知れ、謀略(=母親を許都に呼び、その母親から徐庶を呼ばせる)で劉備から引き離されることに。その去り際に、諸葛亮の存在を告げて去る徐庶。
 演義ではたしか母親は息子の不甲斐なさに「自分が人質にとられてもかまわんからちゃんと劉備様に奉公してくるべき!」みたいに怒って自殺してたような気がするが、こちらの母はそうしたスゴイ人ではなく、帝のおられる都での暮らしに満足しているという位置づけ。ふつうのおかあさん。やはりこうしたところでも、読者が納得しやすい。

読了:2001.11.02 | 公開:2001.12.10 | 修正:2001.12.24


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