周瑜伝

終わらせてはならない。
孫策の描いた未来を、このまま消えさせてなるものか。
updated: 2007/07/09

「ふたりでひとり。どんなに隔たろうと、それは変わらぬ」

 親友、孫策の死は突然だった。周瑜の耳に、誰かが吟ずる「黄鳥」の詩が届いた。それは六年前、いよいよ江東へ進出しようとする孫策と周瑜が再会した、あの夜の記憶をよみがえらせた……。

周瑜(しゅうゆ)
 字は公瑾。孫策と同い年で、無二の親友。孫堅が家族を周家に預けたことで孫策と出会い、親友となった。孫策の死後も、孫呉の柱石たらんとしている。
 史実では……同じく孫策の親友として記録されている。孫策の死後も素早く孫権のもとへ駆けつけ、配下の離反を防いで孫権をもり立てた。遠征の準備をしているときに病没。享年三十六歳。
玉璽(ぎょくじ)
 陸家が守ってきた古代の秘宝。選ばれし者に絶大なる力を与えると伝えられる。
 史実では……孫堅(孫策・孫権の父)が、董卓を討つため洛陽へ兵を進めたときに、五色の気がたちのぼる井戸があり、いぶかしんでこれを調べたところ「伝国の玉璽」を発見したと伝えられている。正史に直接的な記載はなく、裴注に他の史料からの引用がある。
黄鳥(こうちょう)
 四書五経に数えられる古典『詩経』におさめられた詩。名君穆公の死に、実に百人もの忠臣が殉死したことを悼む内容。
 史実では……曹操の息子で詩人として名高い曹植が、後にこの詩にちなんで「三良詩」をよんでいる。