この一冊: 第5回『ケルト事典』→amazon | bk1
読んで字のごとし。ケルト事典である。項目数九百、著者のベルンハルト・マイヤー氏はドイツ人で、この『ケルト事典』のほか『ゲルマン古代学事典』『神学百科事典』『神学と教会事典』等の著者であるらしい(いずれも未訳のように思われる)。監修はケルト学者として日本でもっとも著名な人物と言っていいであろう、鶴岡真弓氏である。
今までに『ケルト事典』のようなものは本邦に存在していなかったので、好きな人はとにかく買うべし。ボリュームは三百ページ余りとやや小さめではあるから、少しものたりないが、ないよりあった方がいい。
しかし、「カタカナ表記」の問題はここにも厳然と立ちはだかる。ケルト語(アイルランド語、ウェールズ語等も大雑把に含むものとする)の日本語カナ表記は、これ、とさだまったものがない場合が多い。しかし、事典において、見出し語の見当がつかないことは致命的である。
たとえば、サトクリフの『ケルトの白馬』(→感想/amazon)の主人公は「イケニ族」の少年である。「イケニ族」は本『ケルト事典』にも表記がある。以下に引用する。
イケニ族 Iceni 古代の*民族誌によれば,今日のイングランド頭部ノーフォーク Norfolk にいたケルト部族。ローマに友好的な態度をとったため,43年ローマがブリタニアに侵略した後も,独立権を十分維持することができた。61年,女王*ボウディッカに率いられたイケニ族は反乱を起こしたが征服された。
事典本文の字面の再現につとめてみた。「*」はより正確には文字の上部左に添えられている。見出し語があるという意味である。見出しだけでなく、本文中にも欧文表記が添えられている場合があることもわかるだろう。
ここでわたしが眉根を寄せてしまったのは、ふたつめの見出し語になっている「ボウディッカ」である。……ああ、ブーディカか! と気がつくまでに鈍いわたしは数秒かかった。ここに記されている反乱も、「ブーディカの乱」、と覚えていた。わたしがどこで「ブーディカ」と刷り込まれたのかはわからないが、この事典でかの女王について調べようと思ったら、まず、「フ」の項目を見たと思うのだ。それがみつからなかったとき、ちゃんと「ホ」まで見ただろうか。
もちろん、よくある別表記から本来の項目名への案内も少なからずもうけられているし、この事典は頑張っているとも思うのだが、欧文索引をつけるという、もうひと頑張りが欲しかった。せっかく見出し語には欧文表記があるのだから。
しかし「見出し語を探すのが不便」というのは、ただこの事典のみの罪ではないのである。ケルト関連語の日本語における訳語が一定していないことが、混乱に拍車をかけているからだ。
日本のケルト学者諸賢のあいだでは、訳語の固定をもっと論じてほしいと思う。専門のかたには各々のこだわりがおありだろうし、お忙しくてなかなか折衝の機会もないのだろうが、一般的な読者にとっては、「違う表記のものは別のもの」であり、結びつけて考えるのは困難なのだ。
と、外からは簡単に言えるが、難しいんだろうなあ……。
参考までに、拙作『チェンジリング』関連のケルト語のいくつかを抜き出し、本事典の見出し語と照応させてみた。『チェンジリング』でケルトに興味をもち、この事典を手にとった人が正解の見出し語を見いだすことの容易さを検証したと思っていただければいいだろう。「→」は、左の見出し語から右の見出し語へ誘導されるという意味である。
- 上王(アーリー) 上王→リー
- 誓約(ゲァス) ゲシュ→禁忌
- ダーナ神族(トゥアハ・デ・ダナーン) トゥアタ・デー・ダナン
- ダヌ ダヌ→アヌ
- 聖所(ネウェド) 聖域→祭祀場(※文中に「ネメトン」が登場する)
- ネウェド(※人名なので、拙作中の意味とは異なる)
- ネメトン(※これが本来の語義)
- バロール バラル
- バン・シー バンシー→ベン・シーデ
- 悪神(フォモール) フォウォレ
- ブラン ブラーンヴェンディゲイド
- ベルテイン ベルティネ
- ルーグ ルグス(※「ケルト人の神」。ルーグの原型ではあるが、文中に「ルグ・マク・エトネン」は登場しない)
- ルグ・マク・エトネン(※これが本来の語義。文中に「ルグス」が登場する)
- 見出し語と完全に一致するもの ドルイド、バルド、フィリ、サウィン、その他
念のために書いておくが、拙作中の「ケルト語らしきもの」には、完全な創作も少なくない。事典でみあたらなくても事典のせいではない。尚、妖精関係については、冨山房の『妖精事典』を強力におすすめする。
2001.10.22