この一冊: 第4回『ICELAND』→amazon | bk1
異世界の景色を思い描くとき、そのベースになるのは、今までに見聞きしたものであろう。テレビや映画で目にした遠い異国の風景、あるいは想像上の景色。画集や写真集から——そして、実際に自分が旅先で見た風景も、もちろんそこには含まれているはずだ。
はじめて飛行機に乗って日本を出たのは、たしか十八、九の頃で、漫画家の姉とともに、同じく漫画家の中山星香氏に引率されてのことである。行き先は英国、スコットランド方面であった。
当時、わたしは「スコットランド」と言われてもまったくピンと来なかったし、今も尚さして詳しくかの地の事情を知っているわけではないが、おおまかに言って北の方、「英国の東北地方」である。ハイランドとも呼ばれるように、高地の国でもある。だから、寒い。飛行機が着いた九月のロンドンは蒸し暑く、東京そのままの気候だったが、スコットランドでは土産物屋の女性が「もう夏は終わったわ」と言ったように、急速に冬が近づいていた。セーターを買い、着込んだほどである。
高地地方を巡る電車の窓にあらわれた景色は、日本では見たことのないものだった。
空気の色あいからもう、なんだか「違う」のである。空に手をのばせば掴めそうなほど、雲が低い。霧に包まれた草原のなかに、不意にねじれて黒ずんだ潅木が姿をあらわす。その足下には小川が流れ、対岸に佇む白馬の姿は幻のようである。河原がない。水際に生い茂った草の葉先が重たげに垂れ、水面に揺れている。それらが、あっという間に遠ざかり、乳白色の霧にふたたび溶け消える。
そのまま物語か詩の一篇でも捻りだせそうなほどの景色が、なにげなく、そのへんにころがっているのである。
ご当地の住んでおいでのかたがたにすれば、日常的な光景なのだろう。逆に、これが日常であるというのは、どんな気分がするのだろうか。それはどういった暮らしだろう。当時はそこまで思わなかったが、とにかく、その圧倒的な「違う」という感覚がもたらしたものは、大きかった。そしてわたしはスコットランドの景色に惚れた。
そのとき、訪れた土産物屋で、自分が見たその感覚を封じこめたような絵葉書をみつけ、何枚も購入した。手に入れたカードを見返しているうち、ふと気がついた。とくに親和性を感じたカードの九割が、同じ写真家の手によるものだったのだ。写真のタイプだけでなく、写真家の名前も記憶した。それが「Colin Baxter」である。
最近、ふと気がついた。写真家の名前がわかっているのだから、それで検索すれば写真集が買えるのではないか。オンライン書店の便利さを享受しない手はない。
あとは話が早い。思い出のスコットランドに加えて、アイスランドの写真集を注文し、届く日を一日千秋の思いで待ちわびた。そして手にした写真集の一冊は、なつかしさを呼びおこすもので、もう一冊は、あのときの「違う」という感じをふたたび呼び起こしてくれるものであった。
より遠く、より寒々しく、より古い時代を想起させてくれる写真集。荒野、汚れなく険しい山々、暗い海、吹き上がる間欠泉、人の気配が感じられない、ただそこに土地があるだけの景色。荒々しくも魅力的なその映像に、わたしは酔った。
そういうわけで、妹尾的異界の荒野に惹かれるものがあるかたには、おすすめしたい写真集である。ぜひどうぞ。
2001.09.03