この一冊: 第3回『スピリット・リング』→amazon | bk1
ビジョルドである。ずいぶん前から、ぜったいおもしろいから読め、と複数の人に勧められていた作家なのである。その邦訳最新刊が、今までのSFから一転してファンタジーである。またしても読め読めと勧められ、では読みましょうかとようやく読んでみたところ、これがやっぱり大当たりだったのだ。おもしろいじゃないか。
勧められる側から一転して勧める側に。読め読め。おもしろいから。
たぶん、ごくふつうの人にとっては、「SF」と「ファンタジー」は近すぎて区別がつかないのではないかと思う。ジャンル読者にとってはとんでもない話であるが、わたしのサイトをつらつらと眺めた感想を送ってくれたかたのメールに、
「SFを書いてらっしゃるんですね」
という一文を見たときは絶句した。何時間もあちこち読んでくださったという感想文にそれが書かれていたのであるから、脱力感はひとしおである。
要するに、ジャンル読者以外にとってはこの壁は薄く、そしてジャンル読者にとってはかなり厚いものがあるように思う。わたしは本を読むとジャンルのレッテルをぺたぺた貼ってしまう分類癖があるから、かなりきわめつけのジャンル志向読者であろう。そのわたしが、読み終えたこの本に、どうレッテルを貼ろうかと迷った。
たしかにファンタジーなのである。
ヒロインのフィアメッタは恋に恋するお年ごろの、いたいけな乙女だが、ひとかたならぬ魔法の才能を持ち、魔法使いの親方の娘であるという設定だ。父親は大魔法使いで、ことに金属に関する魔法に定評がある。パトロンである領主のために、金細工の塩入れを完成させたばかりだ。この塩入れに入れた塩は、どんな毒をも浄化する力を持つ。物語のなかで、魔法は確たる論理にもとづいて運用され、実効があり、限定つきではあるが奇跡を招く。
もうひとりの主人公になる木訥なスイス人、鉱夫のトゥールは鉱山で妖精を見る。フィアメッタは死霊を見る。不可視のもの、非現実的なはずの存在が歩きまわり、おのおのの規範に応じて行動する。
そしてこれは、歴史小説なのである。より正確には「架空/仮想歴史小説」とでも呼ぶべきだろう。
舞台はルネッサンス期のイタリアである。フィアメッタの父は実在したフィレンツェ生まれの芸術家、ベンヴェヌート・チェリーニをモデルとしており、先述した塩入れも実際にそっくりそのままのデザインのものが今も保存されているという。だが、彼が作ったペルセウス像は物語に登場する小国ではなく、フィレンツェにあるという。塩入れとて、物語に登場する公爵ではなく、フランスの王に捧げられたものらしい。
だいたい、当時のイタリアで「魔法使い」なる職業に就いていることを公言できただろうか。それは措くとしても「教会公認の魔法使い」というのは、たいへんよくできた嘘としか思えない。実際に、魔法使いに鑑札を与えていたという記録があるなら、ぜひ詳しいところを知りたいので、ご存じのかたはご連絡を乞う。
さらにこれは、なんといってもビジョルドの本なのである。
これをきっかけに何冊かビジョルドの本を読んでみたが、どれも読者を飽きさせないテンポで物語を展開させ、畳みかけ、次へ次へとページをめくらせる力は共通しており、どこからどうみてもビジョルド印がついた本、という感じがする。
SFだのファンタジーだのいうジャンル分けはともかくも、これはビジョルドの本なのである。主人公が苦難に陥り、危機一髪で切り抜けたかと思えばまた更なる試練にさらされ、そして——次々とくぐり抜けた先に待つのは、主人公が払った犠牲の大きさを反映して、ほのかに苦みを帯びてはいるが、晴れやかな大団円である。読み終えれば、なんだかやる気が湧いてくる。頑張りどころで踏んばる力を、すこし分けてもらったような気がする。
ビジョルドの物語の本質のひとつは、「挑戦」であるといっていいと思う。それは周囲への挑戦であると同時に、自分自身の限界へ向けられたものでもある。だから主人公たちは、ときに落ちこみ、疲れ、希望を失いかけ——もう無理だと思いながら、頑張ることをやめない。自分ひとりの力で生きているのではないと気づかされたりしながらも、それでもやはり、なによりも自分自身のやる気が大切だと知っているのが、ビジョルドの描く人物たちである。
かれらのひたむきさが、物語をころがしていく。そして、読者はかぶれるのである——西部劇を観たらガンマンの気分に、アクションものを観たら自分もスゴい格闘家になったような気分に満ちて映画館を出ていくのと、近い。ビジョルドの物語は、読者を満たすのだ。現実の苦難に立ち向かうための、勇気で。
そういうわけで、わたしはこの本に「ビジョルド」というレッテルを貼ることにした。よって、本書がおもしろかったかたには、ほかの本も、ファンタジー読者に非ずともお勧めできる。
逆に、本書がファンタジーだからといって敬遠しておられるSF系の読者にも、心配ご無用、ぜひご一読あれと申し上げたい。これはたしかにファンタジーではあるが、非常に骨太に、いつものビジョルドが「科学」を扱うように「魔法」を料理しているわけであり、つまるところ、ジャンル「ビジョルド」としか言いようのない一冊だからである。
2001-07-23