書名 | 『スペシャリストの帽子』 "Stranger Things Happen" | |
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著者 | ケリー・リンク Kelly Link (金子ゆき子、佐田千織:訳) | |
発行所 | 早川書房(ハヤカワ文庫FT) | |
発行日 | 2004.02.20 | |
ISBN | 4-15-020358-X |
世界幻想文学大賞、ネビュラ賞、ティプトリー賞等を受賞した作品を華々しく取りそろえた短編集。しかし、いわゆるジャンル・ファンタジーと分類できる作品群ではなく、純文学系幻想譚といった趣き。解説が柴田元幸氏だと書けば、ピンと来る人にはピンと来るだろう。そういう指向性というか、嗜好に合うものを期待すれば、まず間違いない。
僕は島のリゾートホテルにいる。ビーチがあって、この手紙を投函するためのポストがある。完璧に、快適。だけど、他に客がいないし、従業員もいない。いるのは僕だけ。しかも、僕は死んでいる。そして、愛する君の名前を思いだすことができない――君の名前はなんだっけ?
不条理な状況に落としこまれた死者が、おぼつかない記憶を辿りながら、妻に手紙を書く。名前を思いだせないので、特定の名で呼びかけるのではなく、さまざまに呼び名を変えて。陰鬱で閉塞的な状況、螺旋を描いて少しずつ深みに落ちてゆくような感覚が楽しめる。というか、かなりイヤ(笑)
カーネーション、リリー、リリー、ローズ(*1)は、わたしはジョン・サージェントの絵画として記憶しているが、元ネタがあるのかな?
図書館員のキャロルがレイチェルとはじめて会ったとき、彼女はびしょ濡れでびりびりに破れた本を持っていた。食いちぎられたページを見てキャロルは、
「犬が食べでもしたの?」
と冗談をいい、彼女は「そうよ」とほほえんだ。そして、招かれた家には大きな黒い犬がいた――。
かなり現実べったりの順調な生活を送っていた主人公の暮らしが、非日常にじわじわと侵蝕されていく。レイチェルの家に招かれての会食は、かなり怖そう。キャロルが物事の明るい面を見るタイプだから――暗い面は無意識に見ないようにしている、と言い換えてもいいのかもしれない――その後も交際がつづいてしまうわけだが。
クレアとサマンサは、八つの煙突(エイトチムニーズ)と呼ばれる屋敷で夏を過ごしている。父親が、この屋形の歴史とここで暮らした詩人の生涯を本に書こうとしているからだ。
ラッシュが書いた詩「スペシャリストの帽子」は、ふたりの父の研究によれば、実はラッシュが船に同乗したひとりの男が口にしていた文句らしい。男はおそらく呪術師だったと思われる。
双子は〈死人〉ゲームをする。大人の前では全体にやらない。息を止め、死んだ母の歳の数だけ数を数え、死人になる。死人になったら、もうなにも怖がらなくていいのだ。
世界幻想文学大賞受賞作。さまざまな伝説が残る古い屋敷に双子、ベビーシッター、呪術師、呪文、子どもを顧みない父親、といった要素は完璧。情報の出しかたも完璧。展開も完璧。非のうちどころがない無気味な――そして、すこし哀しい――幻想譚。
ジューンはエディンバラに住んでいる。気晴らしに出かけたセント・アンドリュースで、彼女は鳥を怖がる青年に出会った。五歳のとき、インヴァネス城の庭を散策していたとき、母親がクジャクに殺されたのだという。心理学者によれば、飛行訓練をすれば鳥への恐怖がやわらぐかもしれない――彼、ハンフリーは飛行訓練を望んでいるが、彼を育ててくれた叔母たちは一様に、ひどいアイデアだというのだった。
あらすじというか、物語の流れはたしかに上述のようなものなのだが、冒頭いきなり提示され、また合間に次々と織りこまれる「地獄への行き方」が印象的かつ魅力的。この「地獄への行き方」だけでもいいくらいだが、さすかにそれだけでは物語にならないか。
物語自体はギリシャ神話をベースにしており、現代社会にそっと紛れこんでいる神々の姿が滑稽でもあり、今なお失われていない力の一端にふれればやはり畏怖すべき存在でもあり、といったところ。
あなたはお隣のカイという若者と恋に落ちました。あなたは彼にグラスを投げつけ、一面に硝子のかけらが散りました。彼は目になにかがはいったようだといいました。そして夜、彼の胸を払うとちょうど心臓のあたりに血の染みがつきました。翌日、出かけたカイは二度と戻らず、店の男は、彼は三十羽のガチョウにひかれた橇に乗ったというのです。
それ以来、あなたはカイを探して旅をしています。あなたの地図は一枚の鏡です。あなたはその地図のかけらを、裸足の足の裏から引き抜いて見ています。血まみれの足跡を残しながら、あなたは旅をつづけます。
ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア記念賞受賞作。
よくしられたおとぎ話を下敷きにした、二人称の物語。鏡のかけらが地図で、それを足の裏から引き抜いて使うというのは、想像すると痛そうで痛そうでもう……しかもそれが二人称。なんてイヤな話なんだ。
おとぎ話、昔話によくみられる残酷さを、さらりとした筆致で物語にとりこんである。結末に至る展開は、なるほどティプトリー賞受賞作、といった感じで納得の一作。
ヒルディーの家に、いとこのジェニー・ローズがやってきた。ジェニー・ローズは十歳、彼女はたいていベッドに横になって目を閉じている。彼女の両親は外国で暮らしており、中等教育を受けるためにヒルディーの家に送られてきたのだ。
だが、ジェニー・ローズはベッドで横になりつづける。ほとんど喋らず、なにもせず、ただ目を閉じて念じつづけているのだ。ヒルディーには、いとこがなにを願っているのか、わかる気がした。
いちばん単純に起承転結があり、なにがどうしてこうなった式の流れが掴みやすい短編。という印象を抱いた。
ヒルディーがジェニー・ローズに感情移入してくれたことは、ジェニー・ローズが彼女の友情を一顧だにしなかったとしても、彼女のために「よかった」となんとなくほっとしてしまうのだが、同時に、そんなにも孤独ないとこに感情移入できてしまうヒルディー自身の抱えるものは、彼女が慣れ、諦めていくしかないのだろうか。ヒルディーには友だちはいるにしても、両親は物理的に近くて精神的に遠い。ジェニーローズの両親がその逆であるように。
例によって上から順に導入部の説明も含めて書いていたら、二時間かかっても終わらないので、以下簡略に感想のみで。悪しからず。
友人同士のふたりの「ルイーズ」の物語。呼びかけた、あるいは呼びかけられたのがどちらのルイーズか、敢えて混乱を狙っているに違いない曖昧さが、作品全体の雰囲気を支配している。ネビュラ賞をとっているからといって、ジャンルSFバリバリの作品ではない。むしろ、なぜネビュラ賞……? 作品自体はわりと好きなので、高評価の証としては納得なのだが。わたしのSFの定義がズレてきているのかも、一般から。
一冊通読しての感想は、「文字で書いたエドワード・ゴーリー(*2)みたい」といったところ。とくに表題作は、そのままゴーリーが絵本にしてくれればいいのに、と思うくらい。
つねにページのどこかに曖昧な、不可思議な、無気味な、掴みがたいものが揺らめいている感じ、とでもいえばいいのか。
作品自体とあまり関係ない感想になるが、本書はハヤカワ文庫FTの新しい試み、〈プラチナ・ファンタジイ〉()の三冊めにあたる。今までのところ、みごとに方向性がバラバラという印象。大河シリーズ以外の作品枠として、いろいろなものを、ということなのだろうか?
"Carnation, Lilly, Lilly, Rose" by John Singer Sargent サージェントは1900年代に活躍した画家で、この作品はロンドンのテイト・ギャラリーにある有名な油彩画。のはず。検索すれば、実際にどんな絵なのかすぐに見られると思う。案外、この絵を表紙に使っている本の書映がない。これを書いている時点ではヒットする、John Singer Sargent 2003 Calendarが、いつまでも購入できるとは思えないし。Amazon.co.jp洋書サーチ→John+Singer+Sargent
ほかに元ネタがあるのか? という疑問もついでに検索してみたところ、【英国ファンのページ】にある「英国Q&A」コーナーでテートギャラリーにあるサージェントの絵画「カーネーション・リリー ・リリー・ローズ」について教えて下さい。(99/05/07)という質問を発見。ここから一部引用させていただくと、
題名はジョゼフ・マッツィンギの流行歌「花かざりの輪」に由来しています。
♪僕のフローラがここを通るのを見ましたか
♪カーネーション、リリー、リリー、ローズ
となっている。つまり、「パセリにセージ、ローズマリーとタイム」のようなものかな?
読了:2004.03.05 | 公開:2004.04.06 | 修正:--