what i read: 塵クジラの海


*Cover* 書名塵クジラの海
"INVOLUTION OCEAN"
著者ブルース・スターリング Bruce Sterling
(小川隆:訳)
発行所早川書房(ハヤカワ文庫FT)
発行日2004.01.15
ISBN4-15-020353-9

 ジョン・ニューハウスは〈フレア〉と呼ばれる麻薬を常用するグループの一員だった。〈フレア〉は塵クジラと呼ばれる、塵の海に棲息するクジラの内蔵から精製される薬物で、彼は捕鯨の船乗りからそれを買い求めていたが、なんと、水無星政府は〈連邦〉の要請を聞き入れ、〈フレア〉を禁制品としてしまったのだ。単純で、法律の遵守を疑わない水無星人からこれを手に入れることは、もう不可能に近い。

 誰かが、捕鯨船に乗り込まなければ。そして、〈フレア〉を手に入れねば。仲間に押し出されるように捕鯨船に向かったニューハウスは、料理の腕を買われてコックとして雇われることになる。

 水無星の塵の海を研究する外世界人の船長デスペランドゥムの奇行の数々、思いがけぬ同行者となった重度の中毒者キャロスリックの狂態がニューハウスを悩ませた。だが、なにより彼に刺激を与えたのは、見張りとして雇われている異星人の女、ダルーサだった。蝙蝠のような翼と完璧な美貌をそなえた彼女は、彼に申し渡したのだ。

「わたしにはアレルギーがあるのよ、ジョン。誰にもふれることができないのよ……ふれられることもね」

 サイバーパンクの旗手と呼ばれる作家のひとりでもあった、ブルース・スターリングの処女長編。

 そこに詰め込まれた映像的な、そして言語的なイメージが読者を翻弄する。大気があるただひとつのクレーターが、生物の生息圏となっている星。奇妙に生真面目で近寄りがたい水無星人たち。塵の海。そこを遊弋する塵クジラ。クジラを仕留めると、どこからともなくあらわれる鮫。かれらの補助をしているらしい、ナビゲート・フィッシュ。

 デスペランドゥム船長の気まぐれで執拗な好奇心が、水無星の塵の海の姿を読者の前に並べてくれる。若い水無星人の水夫が語る言葉はどこか迷信的で、それもまたイメージを増幅させる要因になる。

 ほかのクレーターに残された、消えた文明の謎。ふたつの都市は、なぜ、滅びたのか。

 華麗なイメージの数々に比べ、ストーリーの流れ自体は非常にシンプル。「SFは絵だ」とするならば、この物語は、その絵が延々と並べられた通路のようなものだ。

 見える景色をひたすら、喚起されるさまざまな感覚を楽しみ、一本の道筋を辿って行けば、終着点に至る。

 ふれることのできない美女ダルーサとの交流は、それゆえに、逆にエロティックである。

 彼女は本来生まれ育った場所でも異端であり、一族に白眼視されていた存在である。それゆえに、人類の調査隊がそこを訪れ、彼女に語りかけてくれたときに、感動を覚え、人の姿になり人のあいだで暮らしたい、と故郷を飛びだしたという設定になっている。

 存在自体がはかなく、そして切ない。

 狂気か正気かはかりかねる船長の妄執や、考えのたりない共犯者たちが、〈フレア〉を採取するということ以外に目的意識を持たなかった主人公を、彼が知りたくもない塵の海の底の世界へと導いていく終盤まで、読みはじめてしまえば一気に進める。

 それにしても、ヴィジュアルなイメージのなんと華麗なことか。主人公が語る幻影の地球、水没したヴェネツィアの落日は、読み終えても目蓋の裏にあざやかに残る。

「わたしのいたころのヴェネツィアでは、住居にはなかば沈んだ建物の二階か三階があてられていた。人口は最盛期の十分の一以下だった。わたしの一家は古い貴族の末裔だった。子供のころはよく覚えているな。水没した通りで竿やパドルで、枯れた黒いガンダーラを漕いで過ごしたものさ。水は澄みきって、静かで、いつも冷たかった。水没した粉々の塔門や、沈んで磯巾着が飾りのようにまとわりついた超克、砂がかかって隠れたヴェネツィアの聖母の、水没したモザイク模様の顔に、棘だらけの海胆が這っていたのも、よく覚えている。ときには冷たい水のなかに飛びこんで、宝を探し、濡れそぼって海草だらけになりながら家に帰ると、母に悲しそうに小さな声でたしなめられたことも覚えている――」(p.64)

 まさしく、絵なのだ。と、思う。

読了:2004.01.17 | 公開:2004.01.21 | 修正:--


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