書名 | 古代オリエントの生活 〈生活の世界歴史 1〉 |
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著者 | 三笠宮崇仁:編 糸賀昌昭 佐藤進 立川昭二 屋形禎亮 |
発行所 | 河出書房新社(河出文庫) |
発行日 | 1991.05.10(1976.01/新装普及版1980.05) |
ISBN | 4-309-47211-7 |
題名そのまんまの一冊。
まず、メソポタミア文明の勃興から説き起こし、その生活を支える風土――粘土、砂漠、ナツメヤシ(デイツ)、大河といった要素を挙げていく。獲得経済(狩猟、採集など)から生産経済(農業など)への移行も、地域ごとの風土にあわせて考えねばならない。
食用に供すことができ、なおかつ栽培に移行できる野生の植物の植生、直接食用にする植物のみならず、家畜の飼料の生育をも支える年間の最低降雨量、耕作に適した土壌などの要素が一致してはじめて、人々は定住して農業に従事することを得る。
安定した生産は余剰人口を支え、直接の生活に関係ない職能をもつ人々をも養うことができ、ここから文明の発達がはじまる、ともいえるだろう。
全体に興味深く読んだが、王の日常を古代の書簡等から読みといた、エサルハドンの生活についてのくだりは、とくにおもしろかった気がする。
専制君主が成立する大前提として、古代メソポタミアを支え、同時に幾多の都市を滅ぼしもした、恵みの源でありながら荒れ狂う大河の存在があった。洪水などの天災の前で、人々は無力な存在でしかない。が、同時にかれらは固まって、助け合って生きていく道を選ばざるを得ない。潅漑事業などのために――すなわち都市国家の勃興である。
都市国家同士の争いは、水を巡っての争いでもあった。上流の都市が水をせき止めれば、下流の都市は水不足で滅びるしかない。洪水もおそろしいが、水がひいたあと河の流れる場所が変化して滅びることもあるだろう。如何ともしがたい「水」への渇望を、人々はまず神を崇めることからはじめたが、都市国家同士の争いが激しくなってくると、「水」を中心とした都市を護るため、軍事的な指導者が必要となり、王権が強まったものと考えられている。
アッシリア王エサルハドンの時代になると、王は既に軍事の頂点にたつだけでなく、さまざまな神の代理として地上に権力を揮う者、というような位置づけがなされているように見える。
エサルハドンの兄弟による父王弑逆――エサルハドンはその陰謀を知っていながら止めず、事が済んでから兄弟を王位の簒奪者にして尊属殺しと糾弾し、追いつめたように見えるという説明――から、彼の生母ナキアの「息子が生きがい」の陰謀家というキャラクター付けも、史料の隙間から生き生きと当時の人がよみがえってくるようでおもしろい。
また、生活の瑣末な部分にいたるまで、ことこまかに神託と占いに支配されていた、王の不自由さも読みとれる。
日蝕や月蝕が王権に不吉な影響を与えるものとし、「身代わり王」をたてたとする記述もあるが、この「身代わり王」は、期間が終わると生贄として殺されたらしいが、身代わりのあいだは正当な王と同様の扱いを受けたという。一時的に平民に身をやつしていた王が死んだ場合は、そのまま王として玉座に留まったという事例もあったそうで、まさしく事実は小説より奇なり、といったところか。
後半はエジプト人の生活について、その風土から発生したのであろうかれらの死生観――容赦なく過酷な砂漠に囲まれてはいても、豊かな暮らしを保証するナイルの岸辺、そのコントラストの鮮やかさ。そして、三十〜四十歳という古代エジプト人の平均寿命から、地上の生ははかないもの、という感覚が行き渡っていたであろうこと――を、おもに掘り下げて行く。
現実の暮らしもすべて、古代エジプト人にとっては、永遠につづく来世のためのものだったのではなかろうか、と思われる筆致だが、その社会を支えてきた柔軟な思考が、アクエンアテンのかなり極端な反動的革命の、さらに反動として硬直を起こし、栄華を誇った古代エジプトを滅亡へと導いたと説く。
青銅から鉄への移行、冶金術の伝播と鉄器を揮うヒッタイトの勃興、そしてエジプトの滅亡へと進んで、本書は終わる。
各文明がもちいていた食材や、こまかな道具についての言及なども多く、ここには挙げていないが、ディテールを愛する人ならかなり楽しめる本だと思う。
読了:2004.02.29 | 公開:2004.04.03 | 修正:--