what i read: 砂の覇王 8


*Cover* 書名砂の覇王 8〈流血女神伝〉
著者須賀しのぶ Shinobu Suga
発行所集英社(集英社コバルト文庫)
発行日2002.08.10
ISBN4-08-600147-0

〈流血女神伝〉(*1)シリーズの、とうとう十冊め。
※シリーズもののため、あらすじは、既刊のネタバレを含みます※
 かつて、早逝した王子の影武者として、ともに皇帝の座を争ったミューカレウス。そして現在では帝位に就いたドーン。そのふたりのどちらかと、結婚する……?
 おどろくべき運命に誘われ、抵抗するすべはないのかと悩むカリエは、先帝――今は帝位を退いたマルカーノスに会うべき、ミュカとともに廃帝宮へ向かった。
 そこで再会した先帝は、帝位という重荷をおろしたせいか、すっかり見違えるような人物になっていた。だが、カリエをおどろかせたのは、その晩、彼女のもとを訪れた客人であった。炎の貴妃、ラハジル・ビアン。ビアンは選帝侯のひとりをたぶらかしたと聞いていたが、ついにその子を身ごもり、身の危険を感じて逃れて来たのだと言う。
 彼女はカリエに向けて、言いはなった。自分はマヤル・バルアンの尖兵としてルトヴィアにいるということを、忘れていない。カリエはどうなのか、と。
 自由にしていいとバルアンに言われたことを説明すると、それはバルアンの最大の信頼の証だとビアンは説いた。そして、カリエが廃帝宮に遣られたほんとうの理由、エティカヤからの使者がロゴナに来ていることを教えた。
 愕然としたカリエだったが、おどろきから立ち直ったとき、彼女の心はもう決まっていた――
 めげない・頑張る・女の子ノベル。相変わらずのジェット・コースターっぷりで、さしたるページ数でもないのに、ぐいぐいと中身が詰まっているのがすごい。

 ファンタジー者としては、後半で語られる「女神」の話についてふれておかないわけにはいかないだろう。

 もともと〈流血女神伝〉というタイトルと、物語のはしばしで語られる神話から、この作品は「異世界冒険物」ではなく「異世界ファンタジー」なのだとは考えていた。が、コアなファンタジー者(=ここでは妹尾のこと)からすれば、シリーズ冒頭のあたりは、
「異世界であることはわかったが、べつにファンタジーじゃないんでは?」
 と感じさせられる雰囲気があったのが、正直なところである。
 たしかにこことは別の世界の物語ではある。が、物語の力点が「ファンタジー」部分にはない、と感じられた。そんな風に説明すればいいだろうか。
(そのことの善悪、是非、優劣などを問うわけでなく、単純に、個人的な基準で作品をどうとらえているか、というだけのことなのだが、これがわたし個人のなかでは重要な基準であり、他者と完全には共有し得ないものであるからこそ、普遍的かつ絶対的な基準にはなり得ないことは記しておく)
 それは、シリーズ第一部の『帝国の娘』二冊を通じての印象だった。

 だが、第二部の『砂の覇王』の後半に入ってから、女神の影が物語のなかで大きなウェイトを占めるようになり、次第にこの世界が「未だ神々が人の世に干渉する」世界であるということわりが、明白に見えはじめてきた。
 こうなってくると、
「異世界であるし、しかもファンタジーでもある」
 と感じはじめるわけだが、しかし、物語の力点はまだ完全に「ファンタジー部分にある」とは言えないような気がする。
 どちらかといえば、今の段階に至ってもまだ「架空神話幻想物」というより「架空歴史物」といったおもむきが濃く、だからこそ広範な読者をとらえ得るのではないかと思う。
 神話の論理で動く世界や人物は、どうしても、ふつうの読者からは遠すぎて、実感が湧きづらく、感情移入が容易におこなえないものであるからだ。
 しだいにファンタジー色を濃くしてきたこのシリーズが、この先どういう方向に動いていくのか、読者をどこに連れて行くのかに、そういう意味でも最近は興味を持っている。

 思いっきりミーハーな感想を、最後にひとこと。
 エドさまはどうなっちゃったのーッ!?

*1〈流血女神伝〉
 シリーズの感想を三冊一気にあげている状態で、書き手の一時的な都合から言えば、この項目を書くのがマンネリ気味。現在十冊、読むなら一冊めの『帝国の娘(編)』から順序よく。どうしても『帝国の娘』が手に入らない場合は、『砂の覇王 1』からでも。シリーズ前作は『砂の覇王 7
 →感想

読了:2002.08.03 | 公開:2002.08.12 | 修正:-


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