『BLOOD LINK 獣と神と人』(
*1)の続編。
申しわけないが、前作のネタバレを含む感想になってしまっているので、気になるかたはお読みにならないようお願いする。
拒否することもできず、提示された運命。投げやりな、それでも平凡で幸せな日常は失われ、永遠にとり戻すことはできない――。
和志は地蟲という特殊な能力をもつ生き物、人にとり憑き、感染し、増殖していくものを感知する能力をそなえていたのだ。地蟲は人を害する。地蟲は人を損なう。地蟲に憑かれた者は、もう助けようがない。そして和志がはじめて対決し、殺さねばならなかった地蟲は、あろうことか、彼のクラスメートだったのだ。
みずからが犯した罪に傷つき、心の平穏を取り戻すことができない和志。彼が大切にしたいと願っている少女・カンナとともに笑いあっても、その笑顔は心からのものではない。どこかでセーブがかかる――自分はこんな風に簡単に幸せになってはいけない、あのことを忘れて笑ってはいけない。自分にはその権利がない。
だが、心の傷を癒す間もなく、事態は進行しつつあった。地蟲という存在はいったいなんなのか。伝承のなかからあらわれ、人に害をなすだけの生き物なのか。謎の女・蜻蛉、和志が憧れるライター・八神。それぞれの立場からそれぞれの見識が生まれ、かれらはそれに対応している。だが、和志は未だに心を決めきれずにいた――。
かなりネタバレを避けたつもりの紹介文。具体的なことはあまり書いていないが、これはこれで不親切かも。三国志のように、開き直ってネタバレでバーンと書いてしまった方がいいのかなあ。
ともあれ、『BLOOD LINK』の続刊は、前作が気に入った読者ならきっとのめりこめるだろうクオリティで仕上がっている。
前作ラストで人殺し(というか、地蟲憑き殺し?)になってしまった和志の心の傷は深く、その深みに潜っていくような、一人称ではないがとことん和志視点で描くという手法をとっているため、今回はやや視野狭窄気味な感がなくもない。すべてが和志の視線の届く範囲、それも自分の中に籠ろう籠ろうとしている彼の視点で語られるだけだから、広がりが乏しいのだ。
作中、人にはそれぞれの暮らしがあるのだ、というような台詞を吐くキャラクターがいるが、いみじくも、その「それぞれの暮らし」がありそうだという雰囲気が、物語からあまり漂ってこないのである。誰もかれもが主人公である和志を中心にまわっているような感じが、どうしても拭いきれない。
ただ、和志の今作における状況からすれば、それは正しい描写なのだという気もする。この状態にある彼の視点で描いた物語に、ひろがりがある方がおかしい。ブラックホールのようにすべてを吸引する悲劇の中心に和志がいて、うっかり物語に登場したが最後、避けようもなく彼の運命に巻きこまれることになる人々がいて、和志の周囲を回転しながら近づいてくる、そんな感じでちょうどよいのではないか。
この物語が内包している切実なテーマのひとつは「所有欲」「独占欲」であるように、わたしは思う。和志のブラックホール化も、そのあらわれなのではないだろうか。ふれたものを黄金に変えてしまったミダス王のように、和志には、かかわる者を悲劇に巻きこむ呪いがかけられているのだ。それは非常に一方的で、悲しいほど切実な愛のかたちである。
だからこそ、この物語は読む者に痛々しさを与えるのではないかと思う。
そう考えると、カンナが語る決意もまた、おそるべき独占欲の発露である。これはまた、愛情のもっとも激しい形態といえるだろう。自分だけのものにしてしまう――食らい、呑みこんでしまう。地母神的な破滅の愛であり、これは同時にかれらが対峙すべき地蟲の特質でもあることに思いを致せば、結局、地蟲と人のあいだになんの違いがあるのかという和志の問いが重みを増す。
大切な人を守りたい。それだけなのに。
前巻の「獣と神と人」というサブ・タイトルについては、「赤い誓約」の本文で語られたわけだが、「赤い誓約」の意味はそれでは次に語られることになるのかなあ。
まったくの余談だが「赤い誓約」って実は拙著のタイトルの候補にあがっていたもののひとつだったりして。「赤い――」「赤き――」と候補があって、「赤の――」に落ち着いたのであるが、もし変更していなかったら、思いっきりかぶってたなあ……。「の」にしてよかった。
- *1『BLOODLINK 獣と神と人』
- 「赤い誓約」の前作で、シリーズ第一巻。高校生の和志と小学生のカンナ。ともに孤独を抱えたふたりの運命は、謎の美女の出現によって大きく方向を変えることになる――
→感想
読了:2001.12.12 | 公開:2001.12.16 | 修正:2002.01.12