前作の最後で姿を消した、ハーヴェイ。彼の古い知り合いで、やはり〈不死人〉のベアトリクスに面倒をみたりみられたりしながら、一年半がたった。キーリも少しだけ、大人びて……。
先行きの見えない暮らしに変化が訪れたのは、ベアトリクスが手に入れた情報だった。キーリの母についての手がかりが得られたというのだ。どうする、と投げやりに問われて、少し迷った末、やはり探しに行くという方を選んだのは、ハーヴェイに会えるかもしれないという淡い期待が影響しなかったわけじゃない。
しかし、ノースハイロは遠い。途中下車を余儀なくされたのは、こともあろうにベアトリクスがかつて「魔女」として狩られた因縁の街で――。
淡々とした語り口が印象的なシリーズの第四作。
一年半が経過した結果(ひょっとすると、それがハーヴェイ抜きでの一年半だからなのか?)、キーリが成長しててびっくり。なにがって、幽霊を見てそれが「やばそうだ」と判断できるようになっており、しかも首をつっこまない方がいいと考えているではないか。
さすがにシリーズ三巻あたりで、キーリがあまりにも無頓着に現実と非在のものたちとのコンタクトをごっちゃにする、その無神経さには首をかしげていたのだ。生まれ変わった、しかし本質的にはなんら変わるところのないキーリに拍手。
ものすごく悲惨でも、救いがないような状態でも、なぜか一条の光がさすような雰囲気に持っていけるのが、このシリーズ独特の味わいである。
相変わらず短編連作的な構成で、最初の一篇は「トゥールースの大火」の舞台で展開する因縁話。たとえばこれも、ベアトリクスはひどいめに遭ったのだから、もっと恨みを抱いていてもおかしくないのに、非常に淡々と、自分でも意外に思うくらいなんの感慨もなく、かつて彼女を追った街を歩く。
後悔に苛まれて鐘楼にあらわれる幽霊も、ベアトリクスのあっけらかんとした「馬っ鹿じゃないの」で救われる。
湿り気がないわけじゃない。せつなさとか、やるせなさとか、そういった感覚には満ちているのに、それを乗り越えて、あるいは包みこんで昇華させてしまう、そういう力が物語全体の流れを支配している。めったやたらと明るいとか元気とか前向きとかじゃないのに、怠惰に、やる気なく、あたたかいのだ。……って、ぜんぜんほめてるように見えないのが困るのだが、それがこのシリーズの味なのだから、しかたない。
しかし、シリーズを通してとくに語られていないと思うのだが、〈不死人〉にとって、幽霊を見たり話をしたりする能力というのは、デフォルト装備なのだろうか。だとしたら、なんで? あの石に関係してたりするのかなぁ?
読了:2004.02.25 | 公開:2004.03.14 | 修正:--