金沢文庫本の行基式「日本図」から中世日本の国土観をときあかす。
現存する行基式日本図がなぜ「行基菩薩御作」とかならずしるされているのか、それを作図したのは本当に行基なのか。
中世の文学資料『渓嵐拾葉集(けいらんしゅうようしゅう)』から、中世期には『行基菩薩記』というものが出回っていたことが推測され、行基菩薩の日本遍歴と田畠の開墾、そこから導き出された日本図が独鈷の形をしていたと記されていたことなどがわかる。
ここから、日本は独鈷の形であるという聖化の物語が生まれ、天のぬ矛や伊勢神宮の心の御柱も独鈷の形であり、さまざまなシンボリズムが同化されていった。
当時の日本図が「蒙古襲来」を背景に生まれたことを説く。
独鈷のかたちをなす日本そのものだけでなく、その周囲をとり囲む世界への興味と記述がおこなわれるようになった。意識のひろがりを、蒙古の襲来が促したのだ。
金沢文庫本で日本の周辺国の説明として添えられていた文章は、おそらく写図されたおりの間違い、あるいは既に元の図像に記載されていた文字自体が判読不能になっていた可能性もあり、単独では意味をとることができなかった。が、妙本寺本の発見により、本来の文章の意味が推測できるようになった。ここから、同様の日本図が当時広まっていたことが窺える。
日本の神々はいわゆる中国の龍とも、大蛇ともいえる姿をとることが多かった。日本図を囲む帯状のものは、おそらく龍体の神を描いたものと推測できる。
蒙古襲来のおり、戦ったのは兵士たちだけではなかった。神々も、龍体をあらわして戦ったのだ。
そもそも水神として信仰されてきたものが、陰陽道や仏教の影響を受けて変容していった龍神は、日本のいたるところに存在した。
霊験のある神社であればどこにでもある龍穴と呼ばれる洞窟は、国土の地下で繋がっており、そればかりか地下世界ははるか天竺までつながっていた。龍は河川や湖、沼にも棲んでいた。
地震にはいくつかの種類があると分類されており、かつて、地震を起こすものは龍でもあった。龍はやがて鯰にとってかわられるわけだが、中世においては、未だ龍が地下世界を支配し、地震の力をも象徴していた。
金沢文庫本の〈日本図〉で失われた半分、龍の頭や尾が描かれるべき部分の本来の姿は、同じ系統の日本図と思われる「大日本国地震之図」から推測される。
龍は自身の尾を噛み、またその龍を「要石」が押さえているのである。「要石」とは、地震のときも揺らぐことはなく、抜けることもないと伝えられるものである。
この「要石」もまた、中世日本のメタファーでは独鈷であり、日本国自体も独鈷、かつて神々が国生みをなした御柱も独鈷である。それらは皆中心軸であるが、同時に、国土をしっかりと繋ぎとめておくべき柱でもあった。龍が日本をとり巻いているのは、それを守護するためである。
以上、自分なりに内容をざっと書いてみたが、本書の末尾が簡潔なまとめとなっているので、そこを実際に読んでいただいた方がよかろうと思われる。
面白いと思ったのは、日本の竜も自身の尾を噛むウロボロス・スタイルをとっていること。伝播なのか、それとも人の心性に共通する無意識から汲み上げられた神話的図像であるのかは判断しがたいが、どちらにせよ、興味深いことだ。
余談になるかもしれないが、研究者の醍醐味だろうなあと思わされたのは、「いずれ同様の日本図が発見されるだろう」と予言した筆者が、その発見されるべき日本図に巡りあったところの記述。たしかな知識に裏づけられた推測が、当たるべくして当たったということだが、それにしても、実際に発見されるかどうかは史料が運良く保存されているかにかかっている。みつかったときの喜びは、ひとしおであったろう。
巻末の参考文献一覧も、読む気をそそられるものが多い。新書、文庫等で入手しやすいものは、注文してみようかなと思う。
尚、本文中では洞窟探検(ケイビング)の会のサイトも紹介されているので、自分自身の利便性もかねて、リンクしておく。
読了:2004.02.01 | 公開:2004.02.29 | 修正:--