書名 | ヘリオガバルス または戴冠せるアナーキスト "Heliogabale au l' anarchiste couronne" |
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著者 | アントナン・アルトー Antonin Artaud (多田智満子:訳) |
発行所 | 白水社(白水Uブックス) |
発行日 | 1989.06.10 |
ISBN | 4-560-07080-6 |
かつて、ローマを席巻したシリアの四人の公女たちがいた。祭祀者バッシアヌスの血をひく四人――皇帝の妻になると予言された誇り高きユリア・ドムナ、政治的手腕と先見性で次々と一族の者を帝位にみちびいたユリア・マエサ、みずからの評判を顧みず、我が子の父は夫ではなくカラカラ帝であると公言したユリア・ソエミア、そしておとなしい息子とともに静かに機会を待ったユリア・マンマエア。
マエサの孫にしてソエミアの息子、ドムナの息子カラカラの血をひいたと称た少年王、ヘリオガバルス。彼こそは、みずからを太陽神とみなす壮麗な放蕩者、地上に神話を描き、つねに相反する要素に引き裂かれ、帝位に就きながら帝国をアナーキズムの巷へと変えた叛乱者なのだ。
古代ローマの皇帝、ヘリオガバルスの事蹟をあらたな視点で語る、歴史エッセイのような小説のような、あるいは著者のアナーキズムへの信仰告白のような書物。
ちびちびと読み進めてようやく通読したものの、理解できたとは到底いいがたい。だいたい、ローマ史の基礎知識が不足しすぎて、年代や場所を自在に往来し、かろやかに跳躍するばかりでなく、その着地点をも見失わされてしまうような、著者の連想のすっ飛びっぷりに、ついてゆくことができないのだ。
年代順に発生したできごとを語るわけでなく、原因と結果がわかりやすく並べられるでもない。
本編の主人公たるべきヘリオガバルスの最期は、一行目に明示されている。これは読者の注意を惹く。が、彼の人生がどういう経緯を辿ったのかはつまびらかにされぬまま、神殿の奥深くに秘められた暗黒が提示される。奇跡の石。そして狂乱の祭り。
ヘリオガバルス本人についての記述は小出しにされ、では最初にとりあげられた曽祖父バッシアヌスがどういう人物かわかるように描かれているかというとそうでもなく、ユリア・ドムナやユリア・マエサについても、いかなる生涯を辿ったのかは曖昧にしか提示されない。
そこにあるのは、強烈な印象、白昼夢のように明晰なヴィジョンの羅列である。
説明しようとすると頭が混乱するが、つまり、これは「説明」可能な書物ではなく、むしろ「説明」を拒否する一冊なのだと思ってよいのだろう。
神話的観点――神話をそのまま現実に敷衍する、という風にでも説明すればいいのか?――によって語られるヘリオガバルスの生涯の描写は、凄まじい力を秘めているように感じた。
ただ、「ふつうの小説」を読み慣れている読者としては、こういう観点で、「ふつうの小説」になったヘリオガバルスの物語も読んでみたいなぁ、と思ってしまうわけで。
このへんが、読者としての自分の限界なのかもしれない。
読了:2004.01.10 | 公開:2004.01.15 | 修正:--