再読。ジョーンズの新刊(
*1)の解説を書かせていただけることになったため、極私的ジョーンズ・フェア開催中。その一冊め。
これは、なにかの事故なんだ。
それだけが、頭のなかにあった。なにも、わからない。自分がどこの誰なのか。なんという名前で、どんな容貌なのか。着ている服の色だって、わからない。自分自身を見下ろしてみても、そこにはなにもなかったのだから。
事故だ。事故なんだ。
パニックに襲われながら、自分が誰なのかを知ろうとするうち、彼女は学校のなかに迷いこんでいた。そうだ、ここは両親が経営する学校だ――では、この家のなかにいる女の子たちは、自分の姉妹に違いない。なぜ忘れていられたのだろう。カートにイモジェン、フェネラ。
ちょっと待って。でも自分は誰?
ここにいない姉妹の誰かなのだろう。そのはずだ。
それにしても、どうして誰も自分に気がついてくれないのだろう。誰か、気がついて!
記憶を喪失した人物を主人公に据えた物語は、そう少なくはないと思う。
本人が死んでいる、という物語も、過去に読んだことがないわけではない。双方を組み合わせたものも、やはり読んだ覚えはある。
それにしても、こんな物語は読んだことがない。
物語は徹底して「パニック状態の主人公」の視点で進む。そこに、ほぼ日常と言っていいはずの生活を送っている、彼女の家族や友人たちが姿をあらわすのだが、このとっちらかった日常の描写、ひとりずつの強い個性のぶつかりあいが、凄まじい。
実体のない主人公は、壁や扉をすり抜けることができる反面、実体あるものを動かすことが困難である。
引き出しの中に入って一番上にある紙に記された文字を読むことができても、二枚目、三枚目と読み進むことはできない。紙を持ちあげられないからだ。
唯一、うまく動かし得たのが、降霊会をおこなおうとしてコップに手を乗せた「受け入れ態勢万全」の人間だけであり、それすら思うようには動かせず、疲労困憊といった按配という描写も、おもしろい。
主人公になにが起きたのか、彼女は生きているのか死んでいるのか、いったい誰なのか。そして、なぜこんな事態に陥っているのかは、物語の中盤を過ぎてから判明するわけだが、主人公のほろ苦い自己認識、絶え間ない諍いをくり返しつつも強い絆で結ばれていた姉妹たちの交流、そしてめくるめく時空の交錯から、結末へと一気になだれこんでいく後半は、まさしく本を置くことができないおもしろさである。
展開のたくみさに感心しするというより、その怒濤の勢いに思う存分巻きこまれることを、ただ無心に楽しみたい一冊。
- *1 ジョーンズの新刊
- 『ダークホルムの闇の君』のこと。2002年10月上旬、刊行予定。
→感想
読了:2002.08.26 | 公開:2002.09.21 | 修正:-