歯医者帰り、外で昼食をとろうとしたらまだランチの時間になっていなかったので、暇つぶしに本屋に入る。そして、なんとなく購入。かなり有名な本だが、読んだことがなかったので。
チェーザレ・ボルジア――法王の私生児として生まれ、枢機卿の身分を得た人物として、また妹のルクレツィアを政略結婚の道具として使った冷酷な策士として有名な、美貌の英雄の生きざまを描いた一冊。
彼が作らせた図像の改題から入り、青年期のチェーザレの登場シーン。非常に絵的な描写がつづく。
かと思えば、淡々と歴史的事実を述べ、史料から直接彼の姿を浮かび上がらせようとするような文章がある。
一般人むけの啓蒙的歴史読み物と、歴史小説のあいだを揺れ動くような、不安定な位置づけに、ジャンル読者のわたしは居心地の悪さを感じた。小説なら小説でもっと書きようがあるだろうし、歴史的に見てああだった、こうだった、という物語であるならば、会話シーンなどは筆が走り過ぎたものに見えてしまう。
こういう感想を書くと「そんなのどうでもいいことじゃないか」と言われる気がするが、それを頭で理解はしていても、受け止める感覚の方がそれに追随してくれないものだから、結局、どうでもよくないことになってしまうのである。
わたし個人としては、歴史解説書よりも歴史小説としての位置取りでこの本を読みたい気もちがあった。
チェーザレ・ボルジアの今までのイメージを覆す内容は非常におもしろいし、端正な文章、シーンを読者の脳裏にありありと描かせる映像喚起力など、すぐれた歴史小説を生むにたる要素が揃っているからだろう。なのに、どこか突き放そうとしている感があって、物語に入りこめない。
たとえば、こんな文章がある。
その頃、このローマに、さらに一層異教的な色彩を加えていたのが、トルコの王子ジェームの存在である。このトルコの若い王子は、一四五三年にコンスタンティノープルを陥落させ、ビザンチン帝国(東ローマ帝国)を崩壊に追いやったマホメッド二世の息子であったが、父の死後に起こった世継ぎ争いで、(後略)(p.25より)
この調子でジェーム王子についての解説が、p.28までつづく。p.29-30はチェーザレが父である法王のかたわらにさかんに姿を見せはじめたことの描写。p.31-37が、チェーザレが枢機卿の緋色の衣をまとうことになったいきさつの説明。そのあともまだ延々と「説明」がつづく。
しかしこれに先立つページでは、チェーザレの姿が生き生きと、小説風に描かれている。
黄昏が、周囲の自然を、まるで純金をひとはけしたかのように、やわらかく輝かせていた。その光の中を、チェーザレは馬を駆けさせた。シエナからピサまでは、約百キロの道のりである。馬を急がせれば、五時間あまりで着く距離であった。
丘陵の向うに高い塔の林立する町が、サン・ジミニャーノだと気づいた時、チェーザレはにわかに、自分がひどい空腹だということを思い出した。(後略)(p.20より)
この差はどうだろう。一般的な歴史小説にも、先に引用したような状況の「説明」は挿入されるだろう。考証や、実際の史料からの引用もあるだろう。しかし、置かれるウェイトが「小説的描写」の方にあり、分量もそちらの方がずっと多いはずだ。
しかし、本書では逆である。説明の合間に、きらりと光る場面描写が挿入されている。おさえにおさえた筆のあいだから、どうしても浮かび上がってきた「生きた」ひとコマが描かれ、そしてまた沈潜する。そんな感じなのだ。
小説ではなく、歴史を解説する読みものを目指した本であるなら、こうした描写は前後の説明のまじめさを損なってしまうのではないかと思う。
そうなっていないのは、著者の筆があまりに冴えているからだろう。「純金をひとはけ」したような黄昏。空腹にも思い至らないほど心をはずませ、馬を駆けさせる青年。すばらしい「絵」である。
そしてまた、そうして描かれる「絵」の訴える力が強いほど、わたしとしては、なんでこれ小説じゃないのかなー、小説にしてくれればよかったのになー、と感じてしまうのである。
淡々とした状況説明のフェーズに入るたびに、物語に入りこむな、これは歴史の断片でしかないのだ、と何度も念を押される気がする。
うまく説明できているかどうかわからないのだが、わたしが感じたこのアンバランスさを感じない人、あるいはこうした新しい試みに喝采を送る人にとっては、欠点のない本だったのかもしれない。
わたしにとっては、なにやら欲求不満がたまる本となってしまった。
先の引用でも一目瞭然だと思うが、ところどころにあらわれる情景描写は完璧といってよく、ことに最後のシーンは圧倒される出来栄え。
全編をこの調子でやってくれればなあ、と心の底から思った。
読了:2001.12.20 | 公開:2002.05.13 | 修正:-