スタジオ・ジブリのアニメ化効果で、近所の書店に続々とジョーンズの児童書が入荷しはじめた。ハードカバーなのであまり買いたくないのだが(置き場所と価格の問題である)、ついに誘惑に負けて購入。
ソフィの人生は失敗することに決まっていた。なぜなら三人姉妹の長女だったから。昔話を読んだことがある人ならすぐわかるように、兄弟姉妹のいちばん上というのは、なにかに挑戦してはまず失敗する運命に生まれついているのだ。
父親が亡くなって、義母が下のふたりの妹の奉公先を決めたあとも、ソフィはもと通り、家業の帽子屋を手伝っていた。妹のひとりは魔女の修行に、もうひとりはパン屋に。でもソフィはもと通りの帽子屋で、日がな針仕事と店番ばかり。人生が少しはおもしろくならないかしら、と思っていたソフィに、おどろくべき事態が降りかかった。
なんと、魔女の呪いで急に老婆にされてしまったのだ!
家族を驚かすまいと、ソフィは家を出る決心をした。魔女の呪いには、それを誰にも語れないという特質も含まれていたからだ。
かなり元気なおばあさんになった、ということはわかったが、それでも老婆の身で長く歩くのは辛い。てくてく歩くうちに、ソフィはハウルの城にたどり着いてしまった。
ハウルは空に浮かぶ城に住む魔法使いで、若い女性を次々と掠っては、その魂を奪ってしまうらしいという、それはいかがわしい噂のある人物。
「でも、ハウルは若い娘の魂しかとらないんだし、今のわたしは若い娘じゃないし」
ソフィはハウルが留守なのをよいことに、ずかずかと城へあがりこんでしまった!
読みはじめてすぐの感想。ああ、ジョーンズだなあ。
キャラクターが少々(あるいは大いに)エキセントリックで、平板な思考ではちょっとついていけない。それがジョーンズの特徴であるという認識を持っているのだが、この作品にも、まさにそうした色合いがある。
昔話の兄弟もので、上の兄弟が失敗役であるというのはともかく、だから自分もかならず失敗すると決めつける、その思考の明快さ。思いこみの強さ。そうしてキャラクターがひとつのことだけを思いこみ、ほかの可能性を視野から除外することによって、却ってあとから物語には「思いもよらなかった展開」が次々と発生することを可能ならしめる。
これをヘタにやると、作中の登場人物は気がついていなくても、読者にはバレバレであるという寂しい事態になるのだが、ジョーンズの筆は読者にそういう突き放した視点を持つことを許さないくらい、徹底している(と、思う)。
登場人物の思いこみに読者を巻きこむ力が非常に強い。
だからわたしにとってジョーンズは、読むたびにキャラクターの思いこみに翻弄され、自分なら考えもしないだろう方向に持って行かれてはまた戻されて、とにかくめくるめく体験を強制させられる作家、という認識があるのだ。これをひとことで言うならば「エキセントリック」と、そういうことなのである。
ちなみに、今までに読んだジョーンズの作品は『九年目の魔法』(
*1)と『私が幽霊だった時』(
*2)の二冊。この『魔法使いハウルと火の悪魔』が三冊めにあたる。
で、今回の作品なのだが、たまたま姉(
*3)に電話をしたとき、読んだ読んだという話になり、
「あれってわたしの漫画みたいじゃなかった?」
と言われて、即座に納得してしまった。ああほんとうだ、まさしく。姉の漫画はジョーンズの作品ほどはアクがないが、ヒロインがだらしない男性のところへ押しかけるなり掃除をはじめるところや、ヒーローが一見ちゃらんぽらんの美青年であるあたりなど、いかにも姉の漫画くさい。言われるまでまったく気がつかなかったのは、アクの多寡によるのだろうなあ……。
姉に言わせると、
「次はこうなってほしいという方にかならず話がころがっていく」
作品だったそうで、わたしの上述の感想とまったく正反対なところがちょっと笑える。正反対姉妹? ありがち、ありがち。
大した分量の作品ではないはずなのだが、次から次へと出てくる登場人物のすべてが生き生きとして(わたしから見れば非常にエキセントリックで)、それぞれに物語をひっぱりまわす活力を備えている。
また、おとぎ話のセオリーを逆手にとっての踏襲っぷりは、おみごとと言うしかない。押さえるべきところは押さえ、ひっくり返すべきところでは巧みにそれをおこなって、絶妙なバランスをとっている。
おもしろかったなあ。
もっとうまく感想を書ければよいのだが、思うところをつらつらと書いていっただけになってしまった。
読了:2001.12.16 | 公開:2002.04.29 | 修正:-
- *1『九年目の魔法』
- ケルト系の妖精譚を思いっきりぶちこんで現代社会にミックスしたファンタジー。英国系児童文学好きには、かなりおすすめ。以前、FSF@niftyで紹介文を書いたことがある。
- *2『私が幽霊だった時』
- 主人公は幽霊、しかも自分が誰だかわからない。……奇妙奇天烈な話。自分探しというのはファンタジー作品によくあるテーマだが、料理のしようによっては、ふたつとない独自性を獲得するのだという見本。奇妙で、そしておもしろい。
- *3姉
- めるへんめーかー。と、こないだ人に話したら、ひとりは「有名人だー!」と仰天し、ひとりは「なんですか、それ」(笑)。すみません、「めるへんめーかー」というペン・ネームの漫画家なんですよぅ。
→姉のサイト【Wonder Garden】(ほぼ休眠中)