表題作他三篇を収録した短編集。
前回の『蛇を踏む』にひきつづき、冒頭の一段落を引用してみようと思う。
- ●「物語が、始まる」
雛形を手に入れた。何の雛形かというと、いろいろ言い方はあるが、簡単に言ってしまえば、男の雛形である。(p.9)
例によって、一行めからとばしている。雛形を手に入れたという、それ自体ではあまり情報にならない一文からはじまって、「男の雛形」であるという説明で、突拍子もない世界にとばされる。
男の雛形は、拾った当初は身長一メートル程度の代物である。食べ物を与えて世話をしていると成長する。そのうち勝手に本を読むようになる。主人公の女性には、つきあっている男性がいて、一見すると彼はまともな人間で主人公は「雛形」が存在する以外はふつうの世界に生きているのかと思うが、かれらの会話がまたワケがわからなかったりして、やっぱりこの人たちはちょっと違うところで生きているのだろうかと思ったりする。
徐々に成長し、いつしか若い男になってしまう雛形と主人公の関係は、母ー子であり、ピグマリオン的でもあり、それでいて生きている男女のものであったりする。どうしようもなく甘美な一体感を、絶対的な他者である――拾ったモノであり人間ではないモノであり女ではないモノであり、ひょっとすると生き物ですらない――雛形が、彼女にもたらす。
解説(穂村弘)によれば、これは純愛の物語なのだというが、なるほどなあ、と思う。たしかに、非常に純粋な愛の物語ではある。
『蛇を踏む』のときにも思ったが、そしてやはり、変容の物語であり、彼我の境界を混沌とさせる物語でもある。ただし、今回は起承転結でいわゆる「結」がかなりきちんとついているので、結局どうなったの! 的な読者のニーズにも沿っているのではないかと思う。これなら人にもすすめやすいかも。
- ●「トカゲ」
セールスに来たのよ、とマナベさん32歳が説明する。セールスマンなんてインターホンの段階で必ず断るのに、なんだかわからないけどついついドアを開けちゃったの。(p.77)
セールスマンがマナベさん32歳に売りつけていった幸運の座敷トカゲをめぐる、カメガイさん(主人公)とヒラノウチさん37歳の三人の主婦の物語。
これは気もち悪い。なんかこう、題材が身近すぎて。変なセールスマンに二匹セットで売りつけられたから一匹もらってくれない、みたいな話が実際に自分のところにきたらどうしようとつい思ってしまうのである。セノオさん35歳が物語のなかに登場してもおかしくないような気がするのだ。
うへー。いやだいやだ。
トカゲの成長とべったりしたつきあい。甘い匂いの印象が強く、主人公がただ朦朧と流されていくさまは、底なしの穴に落ちていくように恐ろしい。
- ●「婆」
鰺夫のことを考えながら歩いていたのだ。早足で歩いていたのだ。鰺夫のことを考えれば考えるほど、早足になるのだった。(p.123)
それ自体は変な文章ではないのだが、連呼される名前が妙なので印象に残る。「鰺」というのは「鯵」の異体字であるようだ。
なんとなく入りこんでしまった、ふしぎな婆の家。猫。穴。酒。スルメ。死。
主人公は婆の家に入りこむ。再訪したときには、その家にある穴に入る。二段構えである。穴に入ることで主人公のなにかが変わる。彼女はそのことを「味が変わった」と表現する。電話で愛を語る、どうも淡々とした恋人が存在する点で「物語が、始まる」を思い起こすが、こちらの物語では主人公とその恋人はふたりして変容を受け止めるという点でずいぶん違う。
変容の最たるものは生→死なのだなあ、と読みながらぼんやり思った。
- ●「墓を探す」
姉から葉書が来た。(p.165)
……これは葉書の内容もぜんぶ引用しないと妙さがわからないかも。姉妹が、父の先祖の墓を探して彷徨する物語である。読んでいくうちに、姉の方が「憑かれ」やすい体質の人であったり、幽霊(であろうと思われるもの)を見たりするようだということがわかっていく。
姉に請われて妹は一週間の休みをとり、ふたりは今まで行ったこともない父の故郷へと、一家の墓を探しに行くのである。父は既に亡くなっており、墓に入っているのだが、故郷の墓へやはり入りたいのだと姉のもとへ訪れて告げたらしいのである。
今回の短編集は明快→混沌→明快→混沌と組み合わせてきているようで、これはまた底なしの混沌に沈んでいくような一作。真剣に入りこんで読むと、戻ってくるのが大変である。
これの前の「婆」を読んでいて、変容の最たるものは生→死と考えたのも束の間、ここではその境界を容易に乗り越えて人々が姿をあらわし、言葉をかわしては消えていく。誰が生きていて誰が死んでいるのかすら判然としない。
全体に、前に読んだ『蛇を踏む』よりこちらの方が好きかも。表題作がやはり、かなりいいのである。
「僕は別にあなたに好かれようなんて思っていませんよ」
掬われた。まあ当然だろう。他愛ない表面だった意地悪には、そのくらいの風当たりがあるものだ。
「ふーん、なんだかつまらないなあ」私は言ってみた。すると、三郎は目を細めたまま、こう言ったのである。
「僕がゆき子さんを好いているだけで必要十分ではありませんか、そうは思いませんか」
少し参った。これはあなどれない、初めて思った。(p.31-32)
愛だよ、愛。と、臆面もなく書いてみる。
それにしても三郎が子どものときに読んでいた「小人が長い長い冒険をする話」というのは、いったいなんの物語なのか。ひょっとして『指輪物語』?
すっかり気に入ったので、他の本も探して読むことに決定。
読了:2001.12.06 | 公開:2001.12.11 | 修正:2002.01.06