この巻は、袁紹と曹操の「官渡の戦い」から劉備が孔明と出会い、軍師として得るまでがメインとなる。
なんだかもう三国志の感想ばかり書きすぎて、書いているわたしも疲れてきたが、読んでくださるみなさんもお疲れなのではなかろうか。
本書の感想とは関係ないのだが、「学習効果」というものがあって、「似たようなちょっと違うもの」をたてつづけに頭に入れようとすると、どちらの情報も損なわれてしまうものなのである。今まさにそれを一気にやっている感があり、ともすれば頭のなかで各々の作品の登場人物が入れ替わったり、混ざりあったり、記憶があやふやな部分が多い。
だからといって、日常生活でなにが困るというわけでもないし、読んでいるあいだは三国志浸りで楽しいのだが、感想を書くときにはちょっと困る。
そういうわけで、困りながら簡単にこの巻の紹介をしておこうと思う。例によって、三国志のストーリー上の展開をとくに隠してはいないので、気になるかたはとばしてほしい。
いわゆる「官渡の戦い」は、袁紹の圧倒的な勢力に曹操が立ち向かうという図式がかっこよく、印象に残る戦である。曹操の覇権がまず間違いなくなる前の最後の戦いという意味合いも大きく、全体の流れでも大いに盛り上がるところであろう。
組織が大きくなると、どうしても武将たちが最前線で戦うめざましい姿というものが見られなくなり、読みものとしての楽しみどころは削がれていく。そして、どちらが天下をとるのかという興味もやはり、終盤に近づけば近づくほど薄まってしまう。
当然、史実をもとにして組み立てられた物語であるから、戦の趨勢がどうなるかはわかっているのだが、それでもなお、このあたりから「赤壁の戦い」までが、三国志の戦闘シーンでもっとも楽しめるのではないかと個人的に思う。
そういうわけで、この巻はかなりおもしろく、一気に読んでしまった。
いわゆる演義的名場面(エピソード)では、関羽が曹操の陣を去って劉備のもとへ二夫人を守りながら独り往く逸話はここにおさめられている。
また、諸葛亮と劉備の出会い、いわゆる「三顧の礼」もこの巻である。
趙雲が劉備と再会するのは114ページ。後日読み返したくなったときのための自分メモとして。……なんで趙雲がいちばん好きかねえ。まったく関係ないが『指輪物語』(
*1)ではファラミア派である。
しかしこの巻でもっとも胸を衝かれたのは、蔡文姫のエピソード。もとは著名な学者の娘であった彼女は異民族のもとへ嫁がされていたのだが、曹操によって中華に戻ることがかなう。しかし、子どもは置いてこなければならなかった。
曹操へ奉った礼状に、ふたりの子との別離をうたった詩が書かれていた――という話になるのだが、これがほんとうに胸をうつ出来で、すばらしいのである。
読み下し文のあとにつづく訳文を以下に引用しておこう。
蔡文姫がわが子を置いて出発しようとすると、子どもが首にかじりついて、母さんはどこへ行くの、と聞く。すると人が、と母さんは遠くへ行ってもう戻ってくることはないんですよ、と教える。すると子は、母さんはいつも慈愛が深かったのに、どうして急に邪険にするの、ぼくはまだ一人前じゃないのに、どうして心配してくれないの、という。これを見ては、わたしの胸はかき乱され、呆然として気も狂わんばかり、ただ泣き叫んで子どもたちをなで、出発の時間がきたのもわからなくなってしまう……。(p.398)
政治に破れ、巻きこまれた父のため「罪人の娘」となり、「漢人の高貴な女性」として異民族に嫁がされ、今また生まれた世界に戻ってくることができたとて、我が子とは別れねばならない、運命に翻弄される彼女の生涯の激しさ(しかも戻ったらそれで幸せになっておしまい、というものでもない)。子どもらとは二度と会うこともかなわなかったのだろうなあ。
乱世に生まれるって大変なことですよ、奥さん! と思いながら次の巻へ進む。
- *1『指輪物語』
- J.R.R.トールキンの手になる、モダン・ファンタジーの嚆矢であり金字塔でもある、偉大な作品。いささか古くかつ独特の訳文のせいで、初心者は入りづらいらしいが、逆に古くからの読者はこの訳文以外では読めない者が多いという諸刃の剣。来春(2002年)日本で公開される予定の映画『ロード・オブ・ザ・リング』についても、ファンのあいだでは字幕でキャラクターの固有名詞がどう表記されるかという話題が華やかに。わたしはそこにはそんなに拘泥しないような気がする。というか、映画における字幕/吹替えにそもそもまったく期待していないようだ。
本書についてのわたし自身のまとまった感想文は、ウェブ上にはどこにもなし。最近、読み返していないので。実はこのところ、かなり読み返したい気もちになってはいるのだが。
読了:2001.11.24 | 公開:2001.12.31 | 修正: -