what i read: ザ・ジグソーマン


*Cover* 書名ザ・ジグソーマン 英国犯罪心理学者の回想
"THE JIGSAW MAN"
著者ポール・ブリトン Paul Britton
(森英明:訳)
発行所集英社
発行日2001.04.30
ISBN4087733459

 題名の通り。ノンフィクション。
『羊たちの沈黙』などで有名になった、米国FBIの心理プロファイラー、R.K.レスラー氏はご存じのかたも多いと思うが、このブリトン氏は、英国のレスラー氏のようなもの。と、言えばわかりやすいだろう。要するに、犯行から犯人像を組み立て、警察に捜査上の助言をする立場の人物である。
 ただし、彼はレスラー氏のように本来警察組織の人間ではなく、心理学者として無償で、ボランティアのかたちでさまざまな犯罪における犯人のプロファイリングを請け負っている。心理的な負担は金銭の授受と関係なしに発生するだろうが(プロファイラーが検討しなければならない証拠品の数々、現場写真、死体、現場それ自体……等々について考えれば、この負担は凄まじいものであろうと推測できる)、時間的な負担はいかばかりであろうか。しかも、それが社会のため、人々のためであると考えるからこそ奉仕するという氏にとって、依頼があったときに断ることは、自分の信念に叛くことに通ずるのではないだろうか。
 ちょっと休めば、と言ってくれるのは家族だけなのだ。細君などは、むしろ
「あなたはもう充分に協力したんだから、いいじゃない」
 と言うらしい。そうだろうなあ、と思う。

 以上が雑感。以下、やや暴力的な内容を含んでいるので、そういうのが苦手なかたはご覧にならない方がよいかと思う。

 内容は、かなり読みごたえのあるプロファイリングもの。どういう状況でどういう犯罪の操作への協力を依頼されたか、プロファイリングという技術自体がまだ未熟で、現場の警察官にとっては未知のものに近かった時代に、どうやって彼の考えが受け入れられていったか、警察との協力状況はどうだったか、などなど。

 もちろん、個々の犯罪へのこまかな言及もある。
 凶悪犯罪として、この本を読む前からある程度の知識があった「ウィンブルドン公園殺人事件」の捜査については、その捜査の経緯にかなりのページが使われていて、いろいろと
「そうだったのか!」
 と思う部分が多かった。
 ご存じないかたのために説明しておくと、この殺人事件は白昼堂々、ウィンブルドン公園(この「ウィンブルドン」は、もちろん、テニス競技で有名なウィンブルドン・テニスコートの「ウィンブルドン」である。治安が悪い土地柄ではない)でおこなわれた。被害者は、二歳の息子を連れて散歩していた女性、レイチェル・ニッケルである。彼女は実に四十九回も刺され、喉への一撃はほとんど頭を斬り落とさんばかりであった。衣服は剥ぎ取られて乱れていたが、犯人は死体を隠そうともせずに姿を消した。犯行の目撃者は、犯人に突き飛ばされた以外は外傷のない、子どもだけだ。しかし、二歳では証言のしようもない。
 ブリトン氏はこの事件の犯人のプロファイリングを求められ、強烈なサディズム幻想に支配された男性像を提示している。完全な従順さを性的幻想の相手に求める男性。ただ従うだけではいけない、彼の支配力を行き渡らせるには、相手は生きて・動いて・自分で考えていてはならないのだ。そういう人間が、こうしたつむじ風のような犯罪をなし得る。
 被害者となったレイチェルは、魅力的で、自信に満ちた金髪の女性である。快活な笑顔も、その挙措も、すべて人に好かれる要素は犯人に彼女を「獲物」として選ばせる要因につながった。彼女のような女性を完全に支配する。
 ブリトン氏が犯罪現場を想起しているシーンがあるので、p.191-192より、以下に引用する。
 レイチェルは彼に人なつこい笑みを見せるが、そうしたことは彼の関心外のことである。すでに彼は、友情だとか人づき合いといったものを求める気持ちを通り越した状態にある。彼女が自分の身に迫っている危険に気づいたときは、すでに遅かった。助けを求めようとあたりを見まわすが、周囲には人影もない。彼女にわかっていることは、この男の出現によって自分と子どもが危険にさらされているということだけで、それがなぜなのか彼女には理解できない。彼女の恐怖は絶対的なものである。
 彼女は手に持っていたアレックスのTシャツを落とす。そこが、犯人と彼女が最初に接触した場所である。彼は声によって彼女の動きを制する。彼女の胸に突き刺さったナイフが血を噴き出させ、彼女の身体は彼の言うとおりの場所に押しやられる。彼女はショック状態にあるが、それは彼女にとって、それまでにまったく経験したことのないものである。これまでに考えたこともないことであり、どういう気分のものか知りもしなかったことである。
 こうした恐怖にさらされて死に至った人々を想うと、胸が詰まる。そして、プロファイリングという仕事は、まさにその緻密な追体験から生まれてくるのではないか。被害者側と、そして犯人側と。

 そのほか、十歳の子どもふたりが二歳の子どもに石を投げ、電車に牽かせて殺したという事件なども、興味深かった。子どもにとって、友だちとの見栄の張り合いは、生活で重要なウェイトを占める部分である。だから、ひとりずつならやらなくても、ふたり以上いれば、おまえにはできっこないだろう、できるさ、おまえこそ無理だろう、なにを……とエスカレートすることは考えられなくもない。
 もしかすると、大人であっても、そういう部分はあるだろう。
 日本でいえば、女子高生が監禁されて死に至った事件など、自分は降りると言えない「見栄の張り合い」がかれらの非道な行為を支えていたという見方もできるのではないか。
 人はひとりでは弱い。だが集まると強い。その強さがどう発揮されるかが問題で、どうしてもポジティヴな面を見たくなるが、こうしたネガティヴな現象もはっきりと認識しておくべきだと思う。

 なんかカタくて暗い話になってしまったが、まあ、そういうわけで。
 ブリトン氏は文章家としてもなかなかの手腕があるようで、内容が興味深いだけでなく、筆の進めかたもうまく、おもしろい一冊だった。

読了:2001.10.06 | 公開:2001.11.26 | 修正:2001.12.15


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