what i wrote: [2003/09/11]

*W* わたしの姉は漫画家だ *W*
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[2003/09/11]

 一応、初稿アップ。編集者に送信。自分ではもはや「どこがおもしろいのかわからない」状態になっていて、サッパリサッパリ。

 わたしの姉は、漫画家だ。わたしが小学校六年生のときには、もう、デビューしていたはずだ。消しゴムをかけた記憶がある。以来、結婚するまで十数年、姉のアシスタントをつとめあげた。

 それにしても、姉はよく働いたと思う。

 背景までほとんど自分で描いて、月産百枚までいった。当時はわたしも必然的に渦中の人であったし、目の前の仕事を順番にかたづけるので精一杯だったから、今にして思う。我が姉ながら、すごすぎである。

 長期間、淡々と作業はつづいた。一本終わるともう次の仕事がはじまる。金曜日にあがらない原稿は月曜日に〆切が繰り下がるので(理由:土日は印刷所が休みなので、入稿できない)、ふつうの人の「お休み」は、たいがい激務の日であった。

 音楽をかけて眠気を吹きとばし、倦怠感を追い払う。あのとき聴いていた曲は、当時の辛さを連想させる。今でも、無心には聴けない。

 自分が手伝った漫画を見れば、ここの模様を描くの大変だったなぁ、とか、この点描はやってもやっても終わらなかったなぁ、と、出来栄えよりもまずその作業中のことを思いだす。

 このベタからカケアミのぼかしなんか、読む人は一瞬ちらっと見るだけで、なんとも思わないのがふつうだろうなぁ、とか。……でも、ほとんど半日つぶれたんだよなぁ。

 漫画の原稿を描く、ということは、とても手間暇のかかることだ。描いた側には、当然、愛着が生まれる。自分の子どものようなものだ。

 その世界に一枚しかない生原稿が、作者の知らぬ間に販売されてしまうようなことが、現実に起きている。実際に、目の前で原稿を売られ、法的には問題がないといわれた人の気もちを考えると、かける言葉もない。

 むかし、大陸書房が破産したとき、あなたの原稿も出版社の財産として差し押さえられてしまうかもしれないし、そうなったらもうあなたの手の届くものではなくなりますよ、といった人があったが、そういわれたときの絶望感は、今もありありと思いだせる。

 金銭的な損失がどうこういう話ではないのだ。自分が創ったものが、まるで自分と関係のないもののように扱われるとき――その不条理の前になすすべも知らず立ち尽くすしかないとき。わたしの心を押しひしいだ感覚をあらわす言葉を、絶望以外に思いつけない。

 わたしの原稿が入ったフロッピィ・ディスクは、その破産した会社の編集者が送ってくれた。ちゃんと戻ってきた。ありがたいことだった。

 ありがたいことが、当たり前のことになってほしいと希う。心から。

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