what i wrote: [2003/07/25]

*W* 解放 *W*
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[2003/07/25]

 掲示板に感想を書いたけれども、『セブン・イヤーズ・イン・チベット』が非常におもしろかったので、友人にすすめたところ、曰く。

「外人って、ああいうチベットとか好きだよねー」

 いや、むしろ日本人が全般に『白い外人』の文化以外に興味なさすぎな気がするのだが……というような話を、しぱらく、する。

 著者のハインリヒ・ハラーは登山家。登山のため訪れたインドで第二次大戦の勃発を迎え、捕虜となった。しかし収容所を脱走、ヒマラヤに向かうという、登山家ならではの逃走経路を選ぶ。

 文字どおり死と隣り合わせの苦難の果て、辿り着いた当時鎖国中のチベットの聖都ラサ。その道程と、ラサでの生活を描いたノン・フィクション。

 著者にとっては文字どおり異文化のかたまりのような、チベットでの生活。生ける菩薩として人々の精神的支柱であるダライ・ラマの若き日の姿。異邦人にだけは気兼ねなく見せられたのであろう、やんちゃ坊主のような一面などが微笑ましいだけに、その後の運命があまりにも切ない。

 一九五一年。中国はチベットの「平和解放」をおこなう。ラサに二万の中国軍が進駐。ハラーは、みずからがチベットをはなれたところで筆を置く。そこで、本のなかの時間は終わる。

 その後、一九五九年。中国軍は、ダライ・ラマが護衛なしでキャンプに来るよう、観劇に招待した。三月十日、ダライ・ラマが中国軍の手に落ちることをおそれた貴族や民衆、僧兵たちが、「ダライ・ラマを守れ」とノルブリンカ宮殿に集まる。その数、およそ三万人。

 中国軍は砲列を敷いたあと、群集に解散を要求し、退かないと見るや三月一九日夜からノルブリンカ宮に砲撃を開始した。それは四〇時間にわたったという。これによって数万の死傷者をだし、中国側発表でも四千余人の「叛徒」が逮捕された。(後略)

――『雲表の国 チベット踏査行』色川大吉/小学館(1988/1991)

 中国は、チベットの民衆を僧侶や貴族などの圧政から「解放」したというのが建前。……の、はずである。米軍によるイラク「解放」関連のニュースを見るたびに、「解放」ってなんだろう、と思ってしまう。

 ちなみに、ブラッド・ピット主演の映画『セブン・イヤーズ・イン・チベット』では、ハラーのキャラクターが、「傍観者」ではなく「物語の主人公としてわかりやすい精神的変容を遂げるべき個性の持ち主」に変更されている。物語を創る側としては、原作と比べてみてはじめて、それが理解でき、おもしろかった。

 また、映画のなかで中国軍の将軍が語る「宗教は毒だ」という言葉は、ダライ・ラマが毛沢東からじかにいわれたというもの。そうしたモチーフの使いかたも実にうまいと感じた。

 ……感心ばっかりしてないで、自分の仕事をちゃんとしなければ。と思うばかりで筆は進まず。

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