what i wrote: [2002/09/07]

*W* 情報の文字化 *W*
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[2002/09/07]

 先日、知人と話していて、情報を映像で受け入れることに慣れていると、文字のかたちで情報を受け取るのが苦手なのではないか、と言われた。そこから、

「あなたは映像と文字と、どちらで情報を受け取る方がいいですか?」

 という話になったのだが、わたしが口にしたのはその問いへのまっすぐな回答ではなく、こんなものだった。

「ああ、そういえば、映像で得た情報も片端から文字にしようとします」

 ひとりで歩いているときのわたしは、たいそうぼんやりしている。その「ぼんやり」の中身が、情報――外的・直接的な刺激=そのとき見たり聞いたりしたものと、内的な刺激=空想の世界からたちあらわれたもの――を文章に直す作業なのである。

 たとえば、くだんの会話をかわした前日の夕方、わたしはひとりで外出した。まずは西に向かって歩いていると、日も落ちた空を、蝙蝠が飛んでいた。

 残照の残る空を、蝙蝠が――
いや、「残照」が「残」ってたらまずいな。訂正。
 残照に染まる空を――
奇麗な表現じゃないなあ。「残照」を諦めよう。
 暮れ方の空を、蝙蝠の黒い影がせわしげに過った。どこかつくりものめいた明るさが、間断なく羽撃くうすい皮翼から透けて見える――
って蝙蝠と空のどっちに焦点をあわせるのかはっきりしなくては。

 帰り道は、東に向いて歩いた。

 空は、重たげな雲で覆われていた。すさまじい勢いで、流れてゆく。まるで早回しのフィルムのようだ――
「早回しのフィルム」って表現は、いつまで使えるだろう。たとえばLDやDVDみたいなメディアでは、「早回し」って感じじゃなくて「コマ送り」だし、今後「早回し」は一般のご家庭から消えていく可能性があるかもだ。

 そのうち、自動車に轢かれて死ぬかもしれないと思う。運転手のかたに申しわけないことにならないよう、できるだけ、気をつけよう。

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