『ロード・オブ・ザ・リング』試写 2 | ||
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[2002/02/26] | ||
周囲で続々と先行レイトショー観覧者の声が。そしてわたしも一応なんとか二冊一気の一冊めの末尾まで辿り着いたので、お約束の、多少つっこんだ感想。 ▼ 映像の勝利である。 ひとことで言ってしまうと、映画『ロード・オブ・ザ・リング』の特徴はそこにある。映像の勝利。 トールキンの筆によって描きだされた「中つ国(Middle Earth)」の情景を、かくもみごとに銀幕上に映しだしたということをこそ、偉業と言いたい。コンセプト・デザインに、生誕百年記念として出版された新版のイラストレーションを担当したアラン・リーや、トールキン・カレンダーや画集などでもお馴染みのジョン・ハウを迎え、とことんこだわった、それらしい風景を現出せしめたこと。いや、それらしいではなく、もはや「そのもの」と思わせてしまうクオリティ。それが、この映画の魅力なのだ。 たとえばホビット庄(ホビットたちが住む村。字幕ではシャイア)の光景。ひとめでそこがホビット庄だとわかる、そのことの喜びをどう語ればよいのだろう。円形のドア、低い天井、こまごまと散らかった小物、居心地のよさそうなその室内。ビルボが、フロドが、ここで暮らしているのだと見る者に思わせる生活感。撮影の一年前から植物を植え、自然に見えるように準備してきたというこだわりが、たしかに生きている。 どうしても『スター・ウォーズ』とからめて語られることが多いのだが、それはおそらく、両作品が持つ説得力の種類が似ているからだろう。 『スター・ウォーズ』が、SFファンが活字で読み、夢に思い描いてきた世界を銀幕に映し、「見たこともない/しかし空想のなかでよく知り、何度となく訪れたことのある風景」を誰にでもわかるように提示して見せたように、『ロード・オブ・ザ・リング』もまた、同じことをしているのだ。 我々は、この風景を知っている。活字の海の向こう、目蓋の奥で訪れたことがある。まさか、まざまざとこの眼で見ることができるとは思いもよらなかった、見たことのない、しかし懐かしくてたまらない風景。 それが、すぐそこにある。手にとるように見えるというこの奇跡。ビルボが、ガンダルフが、アラゴルンが、ボロミアが、レゴラスが(以下延々とつづくので略)、生きて動いて話している、それをこの目で見ることができる幸せ。 映画の製作に携わったすべての人々に、ありがとう、と言いたい。 ▼ では映画に文句がなにもないかと言うと、そんなことはないのが難しいところ。 映画は映画でしかできないこと――映像できっちりと見せること――はこなしていると思うが、ストーリー面ではまだ工夫の余地があると思われる。大部の原作をわずかな時間で見せることの困難さは言うまでもない。アルウェンの役割変更や、ホビットたちの若返り策など、一般向けにうまくアレンジしたと感心する部分の方が多いにせよ、やはり不満は残る。 原作を要約し、さらにアレンジまでくわえてあることで、「わたしの『指輪物語』」と、「ピーター・ジャクスン監督が解釈した『指輪物語』」の差が際だってしまうのだと思う。 印象的なのは、指輪の試練まわりの描写であろう。監督にとって、「偉大な人物ですら試される」場面が重要なモチーフであることはあきらかだと感じた。その解釈自体を間違いとは言わないが、そのために(とわたしには感じられた)原作にないシーンを捻出し、映画の結末近辺の展開が不自然になってしまったのは残念だ。 ▼ ご意見・ご感想、そして情報は掲示板の「指輪物語全般2 映画公開間近!」まで。土曜夜には映画鑑賞者向けネタバレ・チャットも開催するので、適宜ご参加いただきたく。但し、わたしは仕事の関係で一時間しか滞在できない。ご了承願いたい。 |
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