同時多発テロを見ながら。 | ||
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[2001/09/12] | ||
ほかの文章を用意していたのだが、目の前の(テレビの中の)現実にくらべてあまりに白々しかったので、没。 ▼ 昨日午後十時すぎ、なにげなくテレビをつけたら画面中央の高層ビルから煙がもくもくとたちのぼっている。 アナウンサーがさかんにくり返す言葉を聞くと、世界貿易センタービルだという。ニューヨークの。飛行機がつっこんだという。しかもご丁寧にツインタワーの両方に一機ずつ。旅客機の可能性が高い。衝突直前にハイジャックされていたかもしれない。テロ行為である可能性がある。 呆然とした。このまま世界が最終戦争に突入してしまうのでは、とぼんやり考えた。 子どもを寝かしつけてテレビの前に戻ったら、今度は違う建物から煙があがっていた。国防総省。なんということだ。 ▼ なんだか、なにも手につかない。 たとえば読書は、こういったカタストロフから心を逃がすための装置に意識をつなぐ行為だけれども、カタストロフのその最中にはあまり有効に作用し得ない。周囲の状況そのものに意識がとらわれていれば、空想のなかに逃げこむことすら、うまくできないからだ。 すべてが終わってから、人はいろいろなかたちで事件を消化する。作家に類する職能を持つ人は、それを作品に反映させていくだろう。直接的にも、間接的にも。 ことが終わって、情報が整理されて、そのあと、ようやく物語の出番は訪れるのだと思う。今はまだ――。 |
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