一人称に限りなく近い三人称 | ||
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[2001/01/15] | ||
「一人称に限りなく近い三人称」で小説を書くことが多い。と、自分では思う。 「わたし(あるいはそのほかの一人称)は」と書く代わりに、「誰某(視点人物に採用した人物の名前)は」と書いているだけで、そこを一人称に入れ替えても違和感はないだろう。 視点の移動もしない場合が多い(例:『NAGA』、『異次元創世記』、〈夢の岸辺〉一作ずつ)ので、入れ替えても破綻ないはずだ。 ではなぜ三人称かという疑問への正しい回答はなんだろう。 ▼ 視点の移動は読者に負担を与えるが、ものごとを多角的に見せることが容易になる。 視点移動皆無でも、視点人物以外のキャラクターが実はこんなことを考えていた、という情報を出すことは可能だし、うまく演出できればいい効果に。が、あくまで「うまく演出できれば」ということ。 読者の「察し」にたよらないと、すべて仔細に説明せねばならなくなるし、あまり「察し」にたより過ぎるのも問題。これは視点の問題に限らず全般に言える。 ▼ 煮詰まる自分。もうじき〆切。キャラのラフがイラストレーターさんから出てきたのだが、これが! かっこいいいいい(エンドレス)。が、がんばらねば。 |
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