what i wrote: [2000/10/05]

*W* 泉を覗きこむ *W*
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[2000/10/05]

『ひかわ玲子のファンタジー私説』という本に、著者であるひかわ氏が、ファンタジーの象徴として木をイメージする話がある。Zero-CON の同名企画では、牧野修氏が、木のイメージといえば自分は小学生のとき(だったと思う)、校長先生が朝礼でお話しをしているときに、大きな木が倒れてきて校長先生の頭がざっくりと割れて……というようなヴィジョンを持ちましたという話をなさっていた。

 心理学でも、樹木や植物の絵を描かせてクライアントの状態をみるという手法があるそうだから、木のイメージというのはかなり普遍的なものなのだろう。そういえば『天空のエスカフローネ』でも、主人公の心象風景のなかに巨木が登場する。

 しかし。どうもわたしには、とくに木のイメージが思い浮かばないのだ。

 木に替わるものはなにかと考えてみて、泉かなあ、と思いついた。

 水は透明なのだけれど、あまりに深すぎて底が見えない泉を覗きこむようなイメージの方が、近いかもしれない。泉は緑の天蓋で覆われており、たまさか風が吹いたとき、吹き払われた葉のあいだから日がさしこめば、ずうっと底まで見えたりする。

 そこに沈んでいるものは、太古の神を祀る遺跡であったり、あるいは呪いにかけられて百年に一度しか浮上できない絢爛たる都であったり、恋人に裏切られて命を儚くした佳人であったりする。

 しかし、人が見れば泉を覗く自分の姿は滑稽だろうなとも思う。水面に映る自分の顔に見蕩れているようにしか見えないではないか。

 実際、見たと思ったものはすべて、自身の歪んだ鏡像だけ――というのは、大いにあり得るわけだし。

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