この一冊: 第1回『ナインスゲート』→amazon | bk1
記念すべき第一回に、なにを持ってくるかと考えあぐね、結局、「最近読み終えた本で、既に一般書店店頭ではあまり見かけず、現在 amazon.co.jp に在庫がありそうな一冊」→『ナインスゲート』……どこがファンタジー専門店よ、とつっこまれそうなタイトルではある。
ジョニー・デップ主演、ロマン・ポランスキー監督で映画化され、デップ様のアップに指でなすりつけられた血痕も耽美〜な感じのカバーで書店に並んだのも記憶に新しい、オカルトミステリーの大作。しかしこの本、実はかなりファンタジーなのだ。
主人公で「書物狩猟家」のコルソという人物が、A・デュマによる『三銃士』の手稿と、『影の世界への九つの扉』という、悪魔を呼び出す秘法が記されていると伝えられる古書の真贋鑑定を別々に依頼されるところから、物語は始まる。より正確には、デュマの手稿の本来の持ち主が自死し、遺体が発見されたところから始まっているのだが、コルソが自分の仕事をこなすうちに、次々と事件が起きていく。
その事件のいくつかは、『三銃士』に描かれたものに酷似している。既視感を覚える台詞、場面が彼自身をそのなかに取り込んで再生されるのだ。
それは、顔に傷痕のある男——『三銃士』をお読みになったことのある、あるいは映画でご覧になったことのあるかたなら、容易に見当がつくだろう——ロシュフォール男爵を連想させる謎の男の出現に端を発する。美貌の未亡人、リアナ・タイリェフェルが投げる捨て台詞もまた、コルソをフィクションのなかに叩きこむ。
それらが積み重なり、ついにコルソは自分がフィクションの筋書きの上に置かれた登場人物であるかに錯覚しはじめる——すなわち、非日常による日常の完全なる浸蝕である。この、足元が崩れる感覚こそが、この本の醍醐味のひとつである。
コルソの現実崩壊には、もう一冊の本も一役買っている。『影の王国への九つの扉』は、それを印刷した人物が異端の咎で火刑に処されたという、いわくつきの本だ。悪魔を呼び出す秘法など、散文的な人間であるコルソはまったく信じていなかったのだが、実際にその本をめぐって怪事件が連続し、人の命まで失われるとあっては、考えをあらためざるを得ない。
終盤の展開はミステリの範疇を超え、スピリチュアルな世界へと侵入している。
本書はまた、愛書家の業を描いた本でもある。
たとえば、『影の王国への九つの扉』という稀覯本だが、これを追い求める旅は、コレクターの家々を巡る旅でもあるといえるだろう。本を集める人々にも種族の違いがあり、ある者は本それ自体を愛し、またある者は本が与えてくれる知識を愛する。白黒できれいに分けられるものでもないが、傾向として、本という存在自体を愛するか、その内容を愛するかのどちらに寄っているかは見られるはずだ。
稀少なインキュナブラ(揺籃期本。グーテンベルクの42行聖書から始まる最初期の印刷版本を言い、1500年までの半世紀ほどの期間に印刷された本)や、古写本(コーデックス)とともに生きる書物愛好家も作中には登場するが、その暮らしぶりたるや、文字通り書物に捧げられており、同時に書物が彼の暮らしを支えてもいるという、ウロボロスの円環のような図式になっている。本にとり憑かれた人生の凄まじさを、ここに見ることができる。
『影の王国への九つの扉』は、グーテンベルクによる印刷革命後の本であるが、印刷後三百年を経ても尚、みごとな姿でこの世に在る。作中、古書修復(と贋作)のエキスパートであるセニサ兄弟に、最近の本の寿命は哀れにも六十年に過ぎないと言わせているが、何百年もの寿命を閲する本それ自体に、魔性が宿らずに済むだろうか。本自体の存在感が、作中に漲っている。
本書は以下のような読者におすすめできる。
- 現実崩壊感を味わうのが好きな人
- オカルトに興味がある人
- 『三銃士』が好きな人
- 古書の修復や贋作の手法に興味がある人
- 映画『薔薇の名前』の図書室に、うっとりした人
- 同じく『薔薇の名前』の炎上シーンで、もったいなさに涙した人
ぜひご一読あれ。ご参考までに、読了後の感想もどうぞ。
また、最古の活版印刷本である『グーテンベルク聖書』の一冊は、日本にある。慶應義塾大学が丸善より買い入れたものがそれだ。この慶応本は「HUMIプロジェクト」によってデジタル化され、ウェブで閲覧することができる。紙や装丁そのほかについての解説もあるので、興味を持たれたかたはリンク先へ。
2001-07-02