what i read: 東アジアの女神信仰と女性生活


*Cover* 書名『東アジアの女神信仰と女性生活』
著者野村伸一:編著 Shinichi Nomura
発行所慶應義塾大学出版会(慶應義塾大学東アジア研究所叢書)
発行日2004.01.20
ISBN4-7664-1031-9

 久しぶりにふらっと覗いた図書館の「新着図書」の棚に置いてあって、ぱっと目を惹かれ、読み通せるかなぁ、と不安になりつつ借りてみた一冊。二週間かけて、なんとか読了。

第一部 総説――東アジアの基層文化の基軸を求めて
東シナ海周辺の女神信仰と女性生活史の視点 野村伸一

 2000.10.29におこなわれた国際シンポジウムの発表原稿「東シナ海周辺の女神信仰という視点」を増補改稿したもの。

 1997年から2002年にかけての、台湾、宮古島、福建省における見聞に端を発した内容で、中華の知識人からみれば「信巫鬼、尚淫祀」と軽侮の対象になるだろう女神信仰と巫の活動を、地域文化の根底を支えるものとしてみる

 儒教的価値観に塗りつぶされることになった地域でも、女性が男性の従属物でなく、自分の権利を主張できた歴史があり、また経済を支えていたということが、今に残る女神信仰から読み取れる、など。全体の総論的位置づけ。

第二部 中国・沖縄・朝鮮の海辺からの眼差し
第一章 宋元戯曲の女性像と明清戯曲の女性像の比較 田仲一成

 2001.05.25におこなわれた研究例会での発表原稿。

 元雑劇にみられる女性は、ふりかかる運命の不条理に抗議し、誰はばかることなくおのれの主張をぶつける。が、後代の明清戯曲では、運命を甘受し、道徳的に生きる道を選ぶ女性たちの姿が描かれている。社会のシステムによって、かくも変貌を遂げる女性像のありかた。戯曲からの詩句の引用も多い。

第二章 福建省における女性の生活と女神信仰の歴史 徐暁望(道上知弘:訳)

 2001.10.20におこなわれた国際シンポジウムでの発表原稿。

 福建省の女性は外に出て働く(=漢族の観点からみると、女性が顔をさらして外に出て働くのは、とんでもないこと)ため、財産権もしっかり持っていた。媽祖や陳靖姑臨水夫人などの女神たちが信仰された背景には、女性巫覡の活躍と彼女たちへの崇拝、そして女性の世間的地位の高さなどが存在した。

第三章 女神陳靖姑の儀礼と芸能伝承 葉明生(道上知弘:訳)

 2001.10.29の国際シンポジウム発表原稿。原題は「福建女神陳靖姑の信仰、宗教、祭祀、儀式と傀儡戯『[女+乃]娘伝』」。臨水夫人とも呼ばれ、福建省で信仰の対象となっている女神・陳靖姑の来歴と、信仰を支える社会についての考察。

 二章、三章あわせて、陳靖姑伝説のうつりかわりが興味深く読める。妊娠中に、民に希われて祭祀をとりおこない、干魃から人々を救ったが、かわりに自分は命を落としたという巫女の伝説が、さまざまに変化していく様相がおもしろい。

第四章 女神信仰の現代的変容 鈴木正崇

 2000.10におこなった現地調査の記録にもとづいての論考。

 [イ+同](トン)族の薩(サ)の祭りを行政主導の観光事業として大々的におこなう試みを実際に見聞したその印象、またそもそも薩の信仰はどうであったか、などの記録。集落ごとにことなる薩の聖堂のようすや、薩の神話もおもしろい。勇ましい女性の祖先と伝えられる女神は「おばあちゃん」を意味するその呼び名があらわすように、祖先神なのである。

第五章 宮古島の祭祀歌謡からみた女神 上原孝三

 2000.10.29の国際シンポジウム発表原稿。

 宮古島狩俣の祭祀歌謡にみられる女神をとりあげた報告で、狩俣の「イスガー」を発見した「豊見赤星てたなふら真主」の歌謡をおもに扱う。

第六章 宮古島・狩俣に見る近代と古層 奥濱幸子

 本書のための書き下ろし。

 第五章にひきつづき、狩俣を扱っているため、同じ歌謡が収録されていたりする。執筆者が違うからしかたないこととはいえ、一冊の本として読む読者の観点からすれば、若干「くどい」と思えなくもない。

 論考の中心は、歌謡よりも、そうした信仰の背景となった「女が働く社会」の考察と近現代における移り変わりにあるので、内容自体はそうかぶっていないのだが。

第七章 古琉球の女性祭司の活動 高梨一美

 2001.10.20の国際シンポジウム発表原稿。

『おもろさうし』や中国明代の使節による『使琉球録』、日本人による『琉球神道記』などから、古琉球に存在した女性祭司の活動を読みとり、近代に至るシャーマニズムの原形を形成した時代であったことを考察する。

第八章 済州島の海女共同体の生と仕事 韓林花(金良淑:訳)

 2000.10.29の国際シンポジウム発表原稿「済州島の海女とその信仰世界――チャムス(潜嫂)を中心に――」を補訂したもの。

 済州島のチャムスは「働く女性」であり、蔑視されながらも、島の経済を支える自分たちを誇りに思っていたことがうかがわれる。その厳しい生活と、それに密着していた祭儀、伝承などの研究が盛んになり、チャムスの存在が再評価される現今、既にチャムスになろうとする者はほとんどいなくなっている。

 一部の学者たちが唱えた「海の彼方の理想の国」イオドという説を否定し、海女たちはあくまで現世で報われることを願って生きてきたと説く。海女たちの信仰の内実や、失われゆく祭祀についても多く記述され、文章を読みやすく、非常におもしろかった。

第九章 全羅南道の女神とまつり 李京[火+華](野村伸一:訳)

 2001.10.20の国際シンポジウム発表原稿「韓国全羅南道の女性生活と女神信仰」の補訂版。

 朝鮮半島の西南海地域における女性の生活力の活発さと、おそらくそこから発しているのだろう女神信仰についての論考。

 女神信仰の伝承と類型を大きく三つに分け、堂婆さん(タンハルモニ)型、麻姑婆さん(マゴハルミ)型、冤魂型それぞれについて解説する。

第十章 韓国の中世における女性 高雲基(岸川可奈子、李侑珍、李恵燕:訳)

 2001.06.22研究例会での発表原稿。

 朝鮮李朝の女性像は、家の内に閉じ込められているイメージがあるが、それ以前、高麗時代の女性は離婚や再婚の事例があり、財産相続もし、結婚後も実家との太い絆をたもっていた、ということが『高麗史』などから読みとれる。朱子学のもとで失われていった女性の活力と権利が、そこには存在していた。

 結びでは、高麗末期の学者「吉再(キルジェ)」の記録から、時代の転換期における価値観の変遷をじかに読みとる。朱子学を信じ、ひろめようとする吉再が、母の(高麗的な価値観からいえば正当な)恨みごとを、朱子学的な観点から諌めるようすを見ることができる。夫を失った妹が実家に戻るのを、やむなしと認めることでは、高麗的価値観を許している(朱子学が広まって後の李朝朝鮮では、夫が死んでも妻は実家に戻れないし、再婚もできない)。

 ざっとかいつまんだだけなので、実際に神話の断片や祭祀歌謡に目を通したいと思われた場合は、現物を、ぜひ。ただし、学術書なので、ステキなお値段ではある。(2004年初版出版時で6,200円)

読了:2004.03.20 | 公開:2004.04.12 | 修正:--


前に読んだ本 ◆ 次に読んだ本
back to: site top | read 2004 | shop | search
... about site | about me | talk with ...
Amazon.co.jp でサーチ◆ 対象: キーワード: