世界幻想文学大賞を受賞した、中華風ファンタジー。
唐の時代。養蚕で生計をたてる庫福(クーフー)村に、異変が生じた。蚕という蚕がすべてどろどろに溶け、死んでしまったのだ。同時に、子どもたちが、謎の病に倒れた。昏睡状態に陥ってしまい、ぴくりとも動かない。
村の若者のひとり十牛は、この怪事を解決してくれる賢者を探しに、北京に赴く。
かつて科挙に状元(一位)及第を果たした頭脳の持ち主、今は飲んだくれのみすぼらしい老人・姓は李、名は高、「玉にきずとは自分のこと」と名乗る老師のみちびきにより、十牛は奇想天外な冒険に踏み出すことになった。
慢性的な睡眠不足に陥っていたせいで、本が読めない日がつづいてしまった。
で、春先に出たこの本も、夏まで枕元に積んだまま、二ページ読んでは眠り、三ページ読んではとり落とし、五ページめに到達したかと思えばそれまでの話を忘れているのに気がついて前に戻り、といった按配で、一向に読み終えられる気配がなかったのだが、それは睡眠不足だけでなく、すくなからず導入部のとっつきづらさにも責任があるものと思われる。
すべて意味のある内容であって、後半への伏線になってはいるのだが、村の言い伝えと、けちな悪人たちの生きざまの説明がぽつぽつと並べられているだけでは、いかにも世界に入りづらい。
そこを乗り越えて事件がはじまり、ジェットコースター様に事態がころがりはじめてからも、たしかに目ははなせないのだが、どこか「一気に」というのではないような感触があった。
途中から、なんとなく『ほら男爵の冒険』(*1)を連想しはじめて、なんとなくその感じの正体がつかめたような気がした。
あれほど、独立したこまかい挿話の積み重ねというわけではないのだが、人を食った奇想天外ぶりと、一話ずつがある程度は個別に読めるということが、連想させるのかもしれない。
神話・伝説をうまくミックスさせ、独自の中華風幻想世界を創出した作者の手腕には舌をまくが、このすっとんだ世界は、読者を選ぶような気がする。
作品と読者のあいだに距離を感じるたぐいの物語で、感情的に入りこんでいくというよりは、理性と感性で、その軽妙洒脱な筆運びを愉しむ、という傾向が強い作品ではないかと思う。
基本的な知識がなくても問題なく面白がれるだろうが、素材となっている伝説のたぐいに造詣が深ければ、それだけ「知的な」愉しみというのが得られるのではないだろうか。
もっとも、「こんなのじゃない!」と思ってしまう、厳密派の人には、それが障害となって読めないということもあり得るのだが。
ファンタジーを読んでいて、いいなあ、と感じることのひとつは、最後に清澄な、きわめて「ファンタジーでしか描き得ない」絵が、読み手である自分の目蓋の裏一面にひろがるときである。
この『鳥姫伝』のクライマックス・シーンでは、まさにその「ファンタジーでしか描き得ない」画面が絢爛とひろがり、どこまでも世界がひらかれていくときの、あのえもいわれぬ感覚を味わうことができる。
すべてが渾然一体となり、そして同時に明快に見てとれる、世界を透徹する幻視者の視点ならではの、その情景。
読書を通じて得られる至高体験のひとつだが、本書には、たしかにそれが含まれている。
同好の士には、無条件でおすすめしたい一冊である。
尚、本作には続編が存在し、シリーズは既に完結済みとのこと。訳出を期待して、遅まきながら、この文章を読んでくださったみなさんにお願い。未購入のかた、ぜひ
お買い求めを!
読了:2002.07.31 | 公開:2002.08.04 | 修正:-