いただきもの。井辻朱美さま、ありがとうございました。
カナダの作家メリングの、現代と古代アイルランド/ケルトが融合するファンタジーの最新作。『妖精王の月』(
*1)の続編にあたるらしいが、どこが続編なのかピンと来ない……。読み返さないとわからないかも。ちらっと人物名が出てきたのくらいはわかったが、それだけで「続編」というのも、なんとなく釈然としない。きっと、もっとなにか、つながりがあるのだろうなあ。
ローレルは双子の妹オナーが事故死して以来、自分を責めずにいることができなかった。毎晩、妹の日記を読み返す。妹が自分と共有できない秘密をかかえていたこと、それは彼女が実際家で、夢想家である妹の言葉を戯言と受け流すだろうと予測されたからであること――たしかに、もし妹の口から聞いていれば、ローレルは一笑に付していただろう。妖精と出会い、会話し、かれらに使命を与えられたなど!
しかしローレルは今、秘められた真実に立ち向かう決意をかためていた。妹が果たせなかった使命を、自分が引き継ぐのだ。祖父母の住むアイルランドへ行ったのは、幼い頃からの顔見知りで鼻つまみ者のイアンと再会するためではない。オナーの日記に書かれていたことをたしかめるのだ。覚悟は決めたつもりだった。だが、実際に妖精のひとりと出会うと、ローレルの決心は萎えた。それでも、立ち向かわねばならない。ローレルはオナーの使命を引き継ぐことにする。それは、ハイ・ブラシルの島に神聖な火をともすため、夏の王と呼ばれる存在を探しだすことだった。
ローレルは引き受けた。妹がどこにいるか、知りたかった。祖父は話してくれた、この世での死は、別の世界での誕生なのだと。古来、妖精の国は死者が再生を果たす地だと信じられていたことを。
オナーは妖精のためにはたらいている最中に命を落とした。それなら、彼女は妖精の国で生きているのではないか?
ローレルはその疑問の答を、夏の王を探す途中、見出すことになるのだが――。
うーん。これはメリングの既刊のなかでいちばんいいかも。
冒頭の導入部を読んで、かなりワクワクした(人ならざる者同士による意味深長な会話と情景描写からなる)。だから、ゆっくり読めるときにとっておこうと思ってすこし寝かせてあったのだが、「ゆっくり読めるとき」などといってタイミングをはかっていると、読みそこないそうな予感がひしひしとしてきたため、結局、あわてて読んでしまった。
いやあ、堪能、堪能。
堪能はしたが、これ、『
チェンジリング』と目一杯かぶってる部分が……。
現代人と妖精の国とのかかわりを描いている点だけをとってみれば、同じことをやっているのに、似ている感じがしないのがおもしろい。
メリングの作品では、こちらとあちらが互いに浸蝕しあい、薄皮一枚ほどの隔たりもなく、ボーダーレスに繋がっている。舞台が妖精譚の本場・アイルライドであることは、ふたつの世界の近さの理由と見てもいいだろうと思う。
拙作の話になって恐縮だが、『チェンジリング』では同じく現代と妖精の国とのつながりを書いたわけだが、なにしろ舞台が日本であり、題材にとった神話伝説はヨーロッパ、とくにアイルランドに伝えられるものであるから、地理的な距離はかなりのものだ。地理的な距離がへだたれば文化的、心理的な距離もひろがる。
それでもなおケルトを題材にとったのは、モダン・ファンタジーの礎石のひとつがケルト神話やアイルランドの妖精譚にあるからにほかならず、そうした西欧由来のものを、いかに我々の日常と結びつけて書くことができるか――つまり、西欧起源のファンタジーを日本人のわたしが書き、読み手に供給することの不自然さを自覚し、追求するためでもあったわけである(
*2)。
そうした自分の立場と引き比べてみると、メリングはいかにもケルトに近い。著者はカナダの人ではあるが、もとはアイルランドに生まれ、カナダに移住し、そして今はまたアイルランドに住んでいるという話である。そういう立場の人が、現代のカナダ人の少女がアイルランドに旅行でやってきて、妖精国の貴公子と出会ったり恋におちたりという物語を書くことは、とても自然である。
自然であるからこそ、ここまでなにげなく書くことができるのだろうなあ、と思う。羨ましいのだろうかと考えると、そうでもないような気がするが、拙作をお読みいただいたかたには、ぜひ引き比べてみてほしい。
妖精たちのワケのわからない言動、人間的規範に照らしてみると、筋が通っていないとしか思えない行動の描写は、さすがというところか。
すこし残念なのは、話の進みかたが、ヒロインの都合に応じているように感じられることだろうか。もうすこし苦労するシーンが多くてもよいような気がするし、戦闘の描写があまりにあっさりとしているのにもおどろいた。
思うに、著者の(少なくともこの物語における)書きたいところは、戦闘やヒロインの外的苦難ではなかったのだろう。それはヒロインの心の動きと変化、成長であったのだろう。
そして、その点について言えば、この物語は申し分なくよくできていると思う。
また、幼馴染のイアンの人物造形がとてもよい。つねに怒り、攻撃し、無礼な態度をとりつづけるイアンの背後に隠された姿、彼がほんとうはどういう人物なのかという、ヒロインの目から見てのプロフィールが二転三転するところは、みごとに描かれていると思う。
そのほか、魅力的なキャラクターは何人も登場するが、ほんとうに「通りすがり」だけの人物も、とくに冒頭からしばらくは多くて、これだけが『妖精王の月』とのつながりであるなら、ちょっともったいないかなあ、とも思う。
単品として見たときの物語のクオリティーが、よくわからない通りすがりの人々の存在によって、やや損なわれているように感じるからである。
ともあれ、常世の海に通じる浜辺に響く、静かに遠い潮騒を聞き、黄金の鷲が舞う高山の幻影を淡い空に見て、妖精国の存在をどこかに感じることのできる佳品である。
現実のアイルランドと、妖精の王国の、二重写しになった景色を楽しんでもらいたい。
- *1『妖精王の月』
- メリングのケルト・ファンタジーで、『夏の王』の前作にあたる。アイルランド好きのふたりのカナダ人の女の子がアイルランドに旅行し、タラの丘でふたりのうちひとりが妖精界にさらわれてしまう。残されたひとりは友人を取り戻すために奔走する――というような物語だったと思うが、なにしろ読んだのがもうずいぶん前のことなので。間違っていたらすみません。
- *2 不自然さを自覚し、追求するため
- こういうのは書き手の事情なので、読者のかたに斟酌していただく必要はない。遠い距離を引き寄せて書いているのだという部分に気づく人もいるだろうし、それに与えた説明にすっきりする人も、ただ説明臭いと思うだけの人もいるだろう。どちらがよい、悪いという問題ではない。わたしは書くべきと思い、書きたいと思ったから、そのような小説を書いただけである。しかし、書き手の意図とは関係なく、読者は読みたいと思うように読む権利があるし、そうしてほしい。
読了:2001.08.01 | 公開:2001.08.17 | 修正:2001.12.21