本の雑誌2月号 | ||
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[2001/01/22] | ||
あちらやこちらやそちら、どちらさまでも話題の『本の雑誌 2月号(特集 ティーンズノベルを読もう)』の感想。 ▼ 北上氏の読後リポートに関しては、なるほどなあ、という感じ。古橋秀之氏の『ブラッドジャケット』の冒頭のみ引用して「読めない」という敗北宣言には、残念だなあと思った。 ぜんぶ読まないでなんの評価ぞ? いや「読めない」のが評価そのものという姿勢だろう。
ただ、「読めないと判断するために目を通した一部分」が不適切だったのではないかというのがあって、こちらの方が問題である。 実はこの引用部分、作品内作品、フィクション内のフィクションを説明している箇所であり、小説自体の「地の文」ではない。実際に本をお持ちのかたは確認していただくのが早いのだが、ボールド(太字)、しかも字下げで印刷されており、あきらかに「特殊な部分です」とわかる表記になっているのに、なぜここだけ読んでやめるかな、と思わざるを得ない。 ▼ わたしもオバサンだから、読めない本も少なくないのだが、ケイオス・ヘキサものは好きだ。ことにシリーズ最終巻の『ブライトライツ・ホーリーランド』は去年読んだファンタジー系(と勝手に「ワタクシ」分類する)小説のベスト1だと思っている。 しかし、だ。たしかにここだけ読んでの「読めない」評価は迂闊だが、これのおもしろみがわからない人には、つづきを読んでもやっぱりわからないのではなかろうか? シリーズに採用されている、造語ルビ連発、体言止め多用のかっこいい(と感じられる人が固定読者になる)文体も、キツいのではないか。 テーマ、モチーフ、文体すべてに癖があるからこそ、のめりこむ人には強烈なものがあるが、逆に、駄目な人はまったく受けつけないはずだ。 ▼ 「普通のオジサンやオバサン」が「読めない」ものこそが、ジャンル自体を象徴するような、トンガった作品なんじゃないかなあ、とも考えるのだが、それは言い過ぎだろうか。 べつに昨日今日思いついた話ではない。 自分がぜんぜん駄目だと思った本を絶賛している感想にネット上で出会うと、粛然とし、おまえはもうオバサンだと自分に三回言い聞かせることにしている(嘘)。 もちろん自分の感想は自分の感想として信用しているのだが、それがオバサンの呪縛にかかっていることを忘れるな、という意味。 ▼
「なんであいつはあんな本をおもしろがるのかなあ」 でも、ぼうやに少ないおこづかいのなかから買ってもらって、たまには立ち読みされちゃったりもして、愛してもらって、感動されてこそ、ティーンズノベル。 ▼ ただ、小説を書く側としては、それはもう読んでもらって自分が力を入れたところを気に入ってもらえるのが最上の幸せなのだが、たとえ顎が落ちるようなトンチンカンな感想でも、あるいはつまらないという感想を持たれたにせよ、最後まで読ませてしまえばある種勝ちというか、満足というか、勝負はしたぜという感覚はあるわけで。 自分の立場だったら、やはり口惜しいだろうなあ、とは思う。 |
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