おまけ『カウボーイ・ビバップ 天国の扉』感想 | ||
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[2001/09/21] | ||
ネタバレ且つ否定的な内容を含んでいます。 わたしはTV版『カウボーイ・ビバップ(以下「カウビ」と略)』については、ごくふつうの視聴者であった。おもしろく見たし、ソフトも二本ほど買ったが、ファンを名告るほどはのめりこまなかった。 『カウビ』の作品としての魅力はなんだろうか。それは、「かっこよさ」なのではないかと思う。 スタイリッシュであることこそが『カウビ』の本質なのではないか。 劇場版もTV版そのまま、スタイリッシュである。非常におもしろい。絵も綺麗だし、よく動いているし、音楽もいいし、とにかく「かっこいい」。感心する。だが、最後の方は、長く感じた。 つまらない作品だとは思わないし、TV版のキャラクターたちに久しぶりに会えたのは嬉しかったし、劇場の大画面で観るのは楽しかった。でも、最後まで浸りきることができなかった。 実を言うと、スパイクが製薬会社につかまってから後、どうもダレてしまって、あと何分くらいで終わるのかなあ、と気になりはじめてしまった。おもしろくないわけではないし、映像はかっこいいので見ていたい。でも、もう話に、作品世界にのめりこめない。 なぜダレてしまったかは簡単で、話にほとんど謎が残っていなかったからだ。スパイクが捕縛される直前、(元)博士の告白で、背景はほとんど説明されている。ナノマシンとか実験とか蝶とか。 「どうして?」とか「どうやって?」という疑問が解消されてしまった状態で、牢屋での語り合いシーンに入る。意外なことなどなにも出てこない。興味をひっぱる隠された要素がない。これですっかりダレてしまった。 観ながら「あと何分だろう」と思うようでは、もう映画を楽しんでいるとは言えないだろう。首が凝ったなあ、頭も痛いなあ、ぐりぐりまわしたいなあ、でも画面見られなくなっちゃうなあ、とすっかり意識は外に出ている。「はやく終わらないかなあ」と思いながら見ている状態だ。 おかしい。なぜついて行けないのか。首が痛いからだけか? 後半も、前版と変わらず「かっこいい」映像なのに。 ここで話は前に戻る。興味をひっぱるものがなくなった、そのあとに残ったのは「かっこよさ」だけだったのではないかと、そのとき、ふと思ったのだ。 終盤は、もう「かっこよさ」だけでは集中力がつづかない。前半で慣れてしまっているからだ。「かっこよさ」にシビレるタイプの人であれば、最後まで楽しめたのだろうが、わたしはそうではなかった。 金色の蝶がみる夢のなかに入りこんだ男が、夢とうつつの境界を彷徨う――それは「かっこいい」。しかし、彼が金色の蝶の幻覚を見る理由も、現実感を失った理由も、すべてわかってしまったあとで、彼のみる夢のなかを舞う蝶でいつづけることは、短時間ならともかく、長時間は難しい。 だが、『カウビ』のファンである人々は、その「かっこよさ」だけで集中力がつづくのではないか。逆に言えば、『カウビ』の神髄である「かっこよさ」がそこにあれば、ファンはそれで満足するのではないか。 つまり、わたしには『カウビ』の世界を心の底から愉しむための資格、いや資質のようなものが、そもそも欠落しているのではないかということに、思い至ったのである。寂しいけれど、たぶん、そうなのだろう。 それでも、せめてあと三十分ほど短ければ、「かっこよさ」に慣れてそれが当たり前に、感覚が麻痺する前に終わっただろうから、きっと集中力がとぎれずに済んだのに。 「長すぎる」とは、そういう意味である。 |
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