CHANGELING - a funeral of WHITE

3

 病室の位置は把握していた。外からであれば。
 病院で立ち回りをする可能性はあっても戸外、せいぜい屋上と想定していた。なぜそんな考えでいたのかと問われれば、直感で、と答えるしかない。
 今、必要に迫られて中に入ってみたものの、やはり居心地の悪さは否めない。
 白衣をまとって行き交う人々、いかにもだるそうに待合室の椅子に座る患者たち、付添いで来たらしい中年の女性、車椅子を押す看護助手、点滴中なのに、キャスター付きの器具にひっかけてころがしながら移動する男。
 どれだけが生き延びるだろう。もし〈輝きの野〉と同程度の医療しか約束されないとしたら。あの身を切る寒さ、夏から秋を経ず冬へと転ずる激しい気候も、体力のない者にはこたえるに違いない。
 ——無駄なことを考えるな。
 散漫になりかけた思考を引き締める。
 護衛対象が通いつめているというのに、急を告げられてはじめて中に入るということ自体、完全に自分の落ち度だ。
 自分では気づけないほど、無意識に、彼はこの場所を忌避しているのだ。
 実際、院内の見取り図を見ている今も、かるい苛立ちを覚えていた。
 自分の間抜けさが腹立たしいのもあるが、それ以外に、ひたすらこの場所に嫌悪を感じている。
 ——内省は後だ。
 自分に命じて、まずは地図上で病室のだいたいの位置を確認し、エレベーターへ向かおうとしたとき、携帯が鳴った。
 画面を見ると、そこにいたのはグレムリンではなく、碧の眼をした〈琴手〉だった。ふつうに通話するそぶりで、彼は電話機を耳にあてた。
『伝言は聞きました。〈輝きの野〉から力が及べばすぐ感知するよう、今夜、仕掛けを施します。それまでひとりで大丈夫ですか?』
 その声は、遠い世界から届いているとは思えないほど明瞭だった。
「それはかまわないが、肝心の〈取り替え子〉の警護を留守にするわけにはいかん」
『たしかに』
「〈丘の下の王〉の手の者に見張らせてもいいが」
『かれらは飽きっぽいですからね。何日もはもたない——ああ、そうだ。〈妖精の女〉を送ってもらえるよう、モルグウの〈長姉〉にお願いできますか』
「〈妖精の女〉を?」
 死を予言する泣き女の姿をした妖精だ。このなまぬるい世界には、いかにも不似合いに思われた。
 戦場で、嫌というほど目にしたことのある妖精だった。ときに上空を舞い飛びながら、胸をかきむしり、長く尾を引く泣き声を響かせていた。戦士たちの血まみれの鎧を脱がそうとする姿を見たこともあった。
 だが、〈琴手〉は至極あたりまえの話だというように返した。
『正確な死期を予言させます。それで、長丁場に弱い〈善き人々〉の使いどころが明白になります』
 ——また、同じことか。
 無意識に避けようとしている。だが、なにを?
「おれが手を下してもいいが」
 かなたで、〈琴手〉がかるく笑うのを感じた。
『なるほどね。たしかに、それでもわかるわけだ、いつ死ぬかは。ええ、悪い考えではないと思いますが、最上でもありません』
「なぜだ」
『それでは、〈取り替え子〉の母御の魂を守ることしかできないでしょう。不逞の輩の正体をつかみ、始末するためには、隙を作って相手に狙わせねばなりません。向こうは見張っているのですよ。あなたが殺したと気づけば、罠にも気づきます。次の機会を考え、今は手を出さずにおこうと判断するでしょう。……それでは意味がない』
 そういうことか、と彼はかすかに顔をしかめ、次いで低い声で返した。
「わかった。おれからのたのみだと、モルグウへ言伝を。〈長姉〉が手配してくださるだろう」
『では、そのように』
 電話機をポケットに戻そうとしたとき、すぐ近くの椅子に座っていた老人と目が合った。
「病院では、携帯電話の電源は切るもんだ」
 こちらに向かって言っているのだろうが、視線はそらしていた。ひとりごとをつぶやいたと、解釈してほしいのかもしれない。こちらに残った横顔を見れば、おそらく視力を失いかけているのだろう、眼がひどく濁っていた。
 無言のまま、彼は混み合った待合室を後にした。
 病院は、緩慢な死を連想させる。
 ——近寄りたくないのは、そのせいか。
 もし戦場で致命傷を負ったら、とどめを刺してやるのが情けというものだった。それが彼の世界の規範だ。
 ここは、そうではない。それが彼には耐えがたかった。