what i wrote: 2004/04/17

*W* かぼそい糸が、ぷつんと。 *W*
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[2004/04/17]

 なんだか最近、いろんな人が亡くなる。もちろん、いつだって人は死につづけているのだが、「なんとなく知っている」人が亡くなるという意味だ。有名人とか。

 ものすごいファン、なら哀しみのままに弔意をあらわせばいいと思う。でも、「なんとなく知っている」程度だと、上っ面だけ型にはめた文句を並べてどうするのだ、と気が引けてしまったりする。ほんとうに嘆き哀しんでいる人に、失礼なように思えてしまうのだ。

 だからといって、自分だって、哀しくないわけではない。この感情をどうやって宥めよう。吐き出し口が、みつからない。上っ面になりそうだなどと意識しすぎず、すなおに「ご冥福をお祈りします」と書けばいいのか。

 横山光輝さんの、ご冥福をお祈りします。

 でも、書いたらますます哀しくなってきた。

 朝、NHKのニュースをつけていたら、作家の鷺沢萠さんが、という声が聞こえた。どうしたのかな、と思って画面を見ると、亡くなったというニュースだった。

 故人の書かれたものは、ウェブ日記を数回と雑誌のエッセイしか読んだことがなく、無論、面識もない。なのに、わたしは動揺した。

 ニュースで「本名、松尾」と報じられていたせいも、あったのかもしれない。

 わたしの母の旧姓は、松尾という。「妹尾」の「尾」は、ここからとっている。

 もう十年以上前になると思うが、母が久々に九州に帰ったときのこと。従兄弟と会う機会を得たのだそうだ。家族の話になり、母が、うちの娘は漫画家と小説家だというと、従兄弟も、孫が小説家だと話したという。

「あんた、鷺沢なんとかって人知ってる?」

 メジャーな名前が出てきて、おどろいた。母の従兄弟の孫――祖父の従姉妹の娘。親戚というのも気がひけるが、血は、繋がっているのだった。母が買ってきた雑誌のエッセイを見ると、祖父という人の話が書かれていた。つまり、母の従兄弟の話が活字になっていたわけだ。

 一方的なものだったにせよ繋がりを感じていた人の、突然の訃報。夜になって自殺と知り、ますます動揺した。

 ニュースを聞いたときに感じた衝撃は、わたしが彼女に向けて漂わせていたほそい糸が、ぷつんと儚く切れた音だったのかもしれなかった。

 中空にただよう無数の途切れた糸のイメージが、浮かんで去らない。

 出港する船と見送る人を繋ぐテープさながら、別れを惜しむように伸びるだけ伸びて、切れてゆく。行き場を失い、無数の糸が揺れる。波のかなたに船の影が去っても、風にたなびいて――。

 鷺沢萠さんの、ご冥福をお祈りします。

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