what i wrote: 真世の王 没導入部

*W* 真世の王 没導入部 *W*
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2003/12/30

file:20011211 〜いきなり王都パターン〜

 王都は世界の中央にある。そのまた中央にある王城は世界の礎石、そしてそこに君臨する王は、もっとも尊い御方である。
 王都全体を囲む壁は、どうやって運んだのかと思うような巨大な石を積み上げ、人の背丈の五倍ほども高さがあった。正方形の城を囲む壁もまた方形で、四方に門がある。それぞれの門の上と壁の四隅には、警護の兵の詰め所があった。詰め所の中には壁の上に登る階段があり、その上には高楼がある。そして、つねに見張りの兵がいた。
 北東の高楼にも兵がいた。今はふたり、ひとりは壁にもたれて外を見ており、もうひとりは床に座りこんでいる。
「交替の奴、遅いな」
 愚痴っぽくつぶやいたのは、座っている方のひとりだった。古参兵らしく日焼けして、使いこんだ武具は傷だらけだったが、寒がりであるらしく、風が吹くたびに身震いしている。
 立っていた方の兵が、気の毒そうにそれを見下ろした。こちらはまだずいぶん若い。胸当てその他、王都の護衛兵が支給されるお仕着せの装備も新しく、雲間から漏れる日差しを受けると、誇らかにかがやいた。
「今日はことさら風が強いような気がしますね。季節が変わるんだな」
「風でわかるか。このあたりの出身か?」
「いえ、おれは東方の生まれです。だから、このへんの気候はよく知りません。でも、おれの生まれたところでは、これは季節の変わり目に吹く風ですよ。明日からもっと寒くなります」
 古参兵は顔を歪めた。
「嬉しくない予言をするなよ、若いの。おれは若緑領の出なんだ、湿っぽくてあったかいのが世界のあるべき姿だとばっかり思ってたよ。まさか王都がこんなに寒いとはな」
「おれも、王都は常春の楽園みたいなところだと思ってました」
 若い兵がまじめに答えるのを聞いて、古参兵は苦笑した。
「そこまでは思ってなかったなあ、おれは」
「おれ、田舎者だから。憧れだったんですよ、王都に来て王の剣になるのが」
 そしてまた、彼は壁の外に視線を向けた。王都の外には草原がひろがり、丘陵地帯へとつづいている。ところどころに生える木々はもう葉を落としはじめていた。はるかにかすむ地平線は、重たげな雲に覆われた空と溶けあっている。
「どうだい、生まれ故郷が見えるかい」
「無理ですよ。東の果ての、そのまた果てから来たんです」
「へえ、どんなとこだ」
 はじめて、若い兵は言葉に困ったようだった。
「なんにもないところです。草ばっかりで――」
 そうか、と答えかけた言葉がくしゃみで途切れた。若い兵はまた視線を高楼の中に戻した。
「――先に降りてはどうですか。もう交替の刻限は過ぎているんだし」
 しかし、と渋る古参兵に、彼は笑顔を見せた。
「おれならひとりで平気です。交替の兵を探してきてくださるあいだくらい、なんとかなりますから。どうか、ご心配なく」
「そうか。きちんと勤めていてくれよ……あー、おまえ、名前はなんだったかな」
「ウルバンです」
「おれはリフェルトだ。次は下で遭おうぜ」
 答えを待たず、古参兵は階段を降りて行ってしまった。残された青年は、今の言葉の意味を噛みしめていた。
 ――下で会おう、か。
 それが壁の内側ならば、飲み屋へ行こうという意味だ。外側なら、攻め寄せてくる魔物たちとともに戦おうという意味になる。相手を気に入ったことを伝えるときの、兵隊仲間での慣用句のようなものだが、ウルバンはまだこれを口にしたことがない。言われたことはあっても、自分から誰かにそう告げたことがなかった。
 壁の内と外を分けられればいいのに、と思う。内側で楽しくやろうと呼びかけたい相手なら、それなりにいた。だが、外側で命運をともにしようと思う相手はいなかった。
 そんな風に他人のことを選り好みできるほど、腕の立つ剣士でないことは自覚している。自分自身を信用できないことが、こだわりになっているのかもしれない――とも思う。人に恃まれるほどの実力がないからこそ、次は下でと言われれば気後れもするし、自分からその言葉を言う気にもなれない。
 まだ実戦に出たことがないのも、その原因のひとつかもしれなかった。
 ――向いてないのかもしれないな。
 故郷に戻り、馬に跨がって羊を追い、草原を駆ける暮らしに戻りたいのかどうか。自分にはよくわからない。ただ、その仕事でなら、実力のほどをはかるのは容易だった。自分の技量も正確に把握できたし、仕事をしたい相手、したくない相手も問われれば即答できた。
「つまり、まだまだ今の仕事では修練が足りないってことだよな」
 羊追いは生まれ落ちたときからそうなるべく躾られてきた仕事だった。剣士としての訓練は、村を出てから。本格的に習いはじめたのは、兵として召し上げられてからになる。まだ半月にも満たない。
 一人前と言えなくて、当たり前なのだ。
 物音がして、ウルバンはふり返った。交替の兵がふたり、これもまた寒そうな顔をして立っていた。
 遅くなってすまなかったと小声で詫びる兵に、気にするなよと肩をすくめたとき、視界の隅になにか動くものをとらえて、ウルバンはふたたび高楼の壁に貼りついた。
「どうしたんだ、そんなに身を乗り出すと危ないじゃないか」
「遠くになにか見えないか」
「なにかって、なにも見えないぞ」
「地面じゃない。空だ」
 遅れてきたふたりもウルバンに並んだが、口々に、なにも見えないぞとくり返すばかりだ。
「鳥でも飛んでたんだろう」
「空を来る魔物なんて、竜くらいしかいやしないんじゃないか」
「そんなことはない。それに、竜は魔物じゃない……」
 語尾がかすれた。あえぐように、彼は言葉をつないだ。
「……そうだ。あれは竜だ」
「馬鹿なことを」
「竜なんか何年も誰も見てないぞ」
「間違いない。隊長に報せてくれ」
「おまえはもう非番だろう。おれたちが見えないってのになにを報告しろっていうんだ。空騒ぎでお目玉食らうのは御免だ」

file:20011218 〜謎の男パターン〜

 夜の底に沈んで輪郭を失っていた景色が、徐々に浮かびあがりつつあった。空を覆う雲の縁は、鈍い明るさをただよわせはじめている。
 夜明け前なのだ。
 あちらが東、とウルバンはもういちど確認した。雑木林に身を隠して数刻、かじかんだ手は感覚を失いつつある。足先も、それ自体が氷になってしまったかのようだ。鼻は、今にももげて落ちそうだ。
 明るい色の頭髪を隠すためにかぶっている布を、あらためて顔の前に巻きつけ、肩にひっかけた。
 夜が明ければこちらの勝ちだ。それまでにみつかってしまえば、負け。
 勝敗の行方を握っているのは時間と見えるが、実はそうではない。それまで隠れおおせるだけの才覚を自分と連れが持っているか、そして敵がそれを見つけだすだけの能力を持っているか。勝負はそこにかかっていた。
 ウルバンは、神経質にまばたきをしている連れを見遣った。彼の隣にひっそりと立つ、それは長身の男だった。ウルバンよりも、頭ひとつは背が高い。しかし痩身だった。重篤な病に冒されているのではないかと疑うほど。剣は使えないと言い切ったが、もし彼が自分で武器をとると主張したら、ウルバンがとめていただろう。
 この連れを、彼は荷物だと思うことにしていた。生きている荷物。いちばん厄介だ。しかも、余計な知恵がありすぎる。
 隊長に呼ばれたときから、予感はあった。直前の戦闘で、壊滅しかかった小隊を救ったのはウルバンだった。馬で、魔物の群れを蹴散らしたのだ。ほとんどの乗り手が魔物に脅える馬を制御しきれなかった。やってのけたのは、ウルバンひとりだった。あまつさえ、乗り手を失った馬の群れを追い立て、魔物たちに立ち向かわせ、しかもできるだけの頭数を集めて陣に戻った。
 ウルバンは、これを自分ひとりの功とは思っていなかった。彼が乗っていたのが、生まれ育った村から行を共にしてきた馬だったからこそ、可能だったのだ。
 それまで彼の名を覚えていなかった隊長が、それで、覚えた。次に名を呼ばれるとき、きっとなにかが起きるという、期待と不安が混淆したものは、既に彼のなかにあった。
 しかし、隊長のもとへ出頭したらそのまま本陣まで連れて行かれ、王太子に引き合わせられるとまでは、思いもよらなかった。
 はじめて間近で顔をあわせる王太子の姿もまた、闇の底に沈んでいた。石を刻んだような固い表情だという印象は残った。ただ、その眼差しは生気に満ちていた。
 王太子はこの軍の総帥であり、みずからも戦士として非凡であると噂されていた。防戦一方だった軍を動かし、城から魔物たちを遠ざけたのは、王太子の軍略あってこそだとか。しかし、ウルバンにはそうした戦況の判断はできなかった。だから、みんなが噂するほどの人物なのかどうかもわからない。
 ただ、実際に会ってみれば、やはり王太子は常人とはことなる雰囲気を身にまとっていた。圧迫感のようなものが、その視線にはあった。声は低く、すこしかすれていた。
「そなたが東から来た馬使いか」
 東方月白領。その東の果てにある東涯郡。そこがウルバンの故地だった。馬ではなく羊を追っていたのだと口答えをするほど、愚かではない。王都へ来て軍に入り、もう二年がたっている。ウルバンは黙って頭を下げ、王太子のするどい眼差しから表情を隠した。
「この者を、北へ連れて行け」
 ふたたび顔を上げたとき、王太子の注意はウルバンから逸れ、別の幕僚と低い声で会話をしていた。王太子に代わって彼の前に立ち、見下ろしているのは、顔色の悪い痩身の男だった。今にもその場に倒れるのではないかと思うほどだったが、語りかけた声はゆたかだった。
「道はわたしが知っている。お前は馬が暴れないようにするだけでいい」
 隊長が話を引き取った。夜半過ぎ、魔物たちの群れを引きつける一隊が出る。ウルバンと男は馬を連れて北の窪地へ行き、林に潜む。夜明けとともに騎乗し、敵陣の薄くなった箇所を突破してまず東へ、あとは男の指示に従って目的地を目指せ、と。
「夜が明けるまでは、たとえ安全と見えても動くな。彼奴らはどこから湧いてくるかわからん」
「自分の馬を連れて行ってよいのですか」
「願えば支給されるはずだが」
「ゾハン――慣れた馬でなければ無理です。それから、このかたを乗せる馬は、おれに選ばせてください」
 うなずいたのは隊長でなく、男の方だった。
「よかろう。わたしから殿下に申し上げておく。先に馬囲いに行け。荷物はそこに運ばせる」
 命令すること、要求を通すことに慣れた口調だった。嫌な任務になりそうだ、とウルバンは思った。
「替え馬も連れて行けますか」
「無論だ。二頭ずつ選べ」
 そのうえ、長くなると見える。しかし、どちらにせよ断ることはできないのだった。ウルバンは一礼し、馬囲いへと向かった.
 それから今まで、男とウルバンはほとんど口をきいていない。静粛性が問われていたせいもあるが、ここまで夜明けが近くなれば、話しておくべきことがある。
「馬に関しては、かならずおれの指示に従ってください」
 おどろいたように、男はウルバンを見た。一拍置いて、寒さにこわばった表情に笑みが滲んだ。
「気負うな。わたしとて、命は惜しい。馬のことはお前にまかせたのだ」
 ひそめていても、その声はよく響いた。
 ウルバンは息を吐いた。とにかく、その場になってみなければわからないのだ。下賎の者の言葉に従うのが都の人間にとってどんなに困難なことか、それもとっさの場合。従軍してこのかた、あきらかに地方の出身とわかるなまりのせいでかろんじられたことは、数限りない。
 もういちど、ウルバンは空を見た。まだだ。だが、もう遠くない。夜明けはすぐそこだ。
 馬たちの鼻面に向かい、順番にそっと声をかける。
「ラ,ラ、イー。ラ、イー」
 こう言い聞かせると、馬たちはおとなしくなるのだ。よほどのことがない限り、声をあげない。ウルバンの村の者なら誰でも知っていた。
 男がウルバンのやっていることを見守っている気配を感じた。どうせまた、田舎者が馬鹿なことをやっていると思っているに違いない。
 だが、とウルバンは毅然と頭を上げた。だが、とにもかくにも、これは役に立つのだ。でなければ、自分はここにはいない。
「乗ってください」
 空はますます明るさを増していた。前方につらなる丘の稜線にうごめく魔物の影もまた、明瞭に見えはじめている。
 男が騎乗するのを待って、ウルバンも鞍に跨がった。落ち着かせるように黒馬の首を叩く。ゾハンの耳がぴくりと動いた。長い睫毛の下、あかるい眸が空を映している。替え馬はすべてウルバンの、そしてゾハンの支配下にあった。
「あまり陣立てが薄くなっているようには見えないな」
 男の言葉はウルバンの考えを代弁していた。突入するだけなら誰にでもできるが、向こう側まで突き抜けねば意味はない。
「方向を変えますか」
「意味がない。ここが薄くないといって、他はもっと攻囲が厚いのだ」

file:20020101 〜かなり完成版に近いパターン〜

 夜の底に沈んで輪郭を失っていた景色が、徐々に浮かびあがりつつあった。空を覆う雲の縁は、鈍い明るさをただよわせはじめている。
 日の出が近いのだった。
 ゆたかに盛り上がった丘の上に建つ巨大な城塞の高楼に、さっと白い旗が上がった。中庭から望見していた騎馬隊の隊長がそれを認め、無言で手を挙げる。全員が、一斉に乗馬した。数は多くない。百騎ほどだろう。だが動きは敏捷だった。粛々と、隊列は東門へ向かった。馬の息が白く湯気をたて、あたりを満たす。
 騎馬隊の到着を待ちかねるように、東門の鉄格子が持ち上がりはじめた。くり出される鎖の音は、いつ果てるともなくがらがらと響き渡る。
「出撃!」
 号令一下、騎馬隊は矢のように城から飛び出した。自ら先頭をきって走る隊長は槍を小脇にたばさみ、鬨の声をあげる。部下たちが声を合わせ、轟く馬蹄が音に厚みをつけた。
 かれらの行く手、はるかにつづく丘の稜線には、なにかうごめくものが見えていた。ひとつ、ふたつと数えられるようなものではない。びっしりと、影は斜面を埋めている。
 異形のものたちであった。
 夜明けをその奥に隠した稜線は、すべて異形の魔物たちで埋められていた。地形本来のかたちが見える場所など、どこにもない。そのただなかを、騎馬隊は抜こうとしているのだった。
 たった百騎。
 その百騎の最後尾を駈けているのは、うすれゆく夜の闇そのもののように黒い馬だった。ほかの馬のほとんどは栗毛、稀に葦毛が混ざっているといった具合で、黒馬はその一頭だけだ。背に跨がる兵士は軽い鎧をつけただけで、盾も持っていない。右手が手綱からはなれ、すらりと剣を抜きはなった。
 すでに騎馬隊の先頭は魔物の群れに突入している。黒馬の騎兵が剣をふるうまで、もうひと呼吸しか残っていなかった。そのさいごの呼気を、彼は叫びに変えた。
「行け、ゾハン!」
 眼前に立ち上がった巨大な蛇のような魔物の額を、竿立ちになった黒馬の蹄が蹴り割った。ほぼ同時に、右から飛び掛かってきた小型の魔物を、騎兵の剣が叩き落とした。さらに、左上方から滑降してきた鳥型の魔物の首を目にもとまらぬ速さで斬り落としたのを見れば、いつ抜いたのか、騎兵は左手にも長剣を握っていた。魔物の体液が、彼の鎧を黒く濡らした。
 日の出まででいい、と隊長は言った。なぜ日の出までなのか、どうして日の出前に出陣しなければならないのか、そうした説明は一切ない。ただ、日の出前に城をうって出て、できるだけ深く魔物の囲みに切り込むこと。そのために、各隊から馬術にたけた者を選りすぐった。可能な限り、前進せよ。
 それだけを知らされ、出陣した。
「なんで日の出前なんだろうな」
 ひとりがつぶやき、誰かが答えた。
「おれたちにはわからん理屈があるんだろう」
 しかし、理不尽さは全員が感じていた。それを、ひとりが代弁した。
「しかし、嬉しくはないな」
 かれらが守っているのは、領王の城である。王都を囲んで東西南北にわかたれた四領のひとつ、東方月城領の中心部であり、東方の要でもあった。
 魔物たちはここを積極的に攻めることはしなかった。取り囲んで、中の人間たちが疲弊するのを待っているかのようだった。いろいろな種類の魔物がいて、魔物の名は地方によって呼びかたが違っていたから、兵たちは簡単な略語で魔物を呼んだ。大蛇、兎、鳩、山羊。そして、鶏。
 鶏と呼ばれている魔物の姿を見た者はいない。それは、日の出にあがる叫び声でのみ知られていた。はじめて鶏が声をあげたのは、十日ばかり前のこと。領王軍の誰も聞いたことのないその叫び声は、空を引き裂き、地をふるわせ、霧を集めて野に凝らせた。
 それは、人や獣を恐慌に陥れたばかりではなかった。霧が晴れてみて、一同はおどろいた。すべての魔物が石化していたのだ。
 いぶかりながらも人々は喜んだ。これで城の外に出られる。だが、罠なのかもしれない。斥候が出され、すぐに、容易ならざる事態が出来していることがわかった。石と化した魔物は、叩いても砕けないうえ、ふれると毒の霧を吐くのだ。
 日没とともに鶏はふたたび鳴いて、魔物たちの石化はとけた。
 領王軍に、なすすべはなかった。
 鶏があらわれるまで、どうしても外部と連絡をつけたければ、魔物の活動が鈍る昼間を狙ってうって出ればよかった。だが今、城の周囲は昼は毒霧の野、夜は百鬼夜行の舞台と化し、脱出も侵入も困難になっていた。
 兵糧の蓄えは豊富だったが、士気は下がる一方である。そこへもってきて、この無茶な作戦。鶏が声をあげれば、毒霧の野のただなかに立つことになりかねないのだ。そうでなくとも、夜の魔物はおそろしい。神出鬼没で、倒してもきりがない。
 しかし、命令は命令だった。かくもみごとに囲まれている以上、逃げだす場所すら、ないのだ。自分の力で切り拓かぬ限り。
 魔物たちの囲みに矢のように突き刺さった騎馬隊だったが、それをつらぬき通すことまではできなかった。今はもう、襲ってくる魔物を打ち払うだけで、各自精一杯だ。
 黒馬の騎兵は足だけでたくみに馬をあやつり、休むことなく双剣をうち振りつづけていた。周囲に屍の山を築き、雄叫びをあげた。
 彼の声は、自分をふるいたたせるためのものでも、敵を脅えさせるためのものでもなかった。それは馬を励ますための声だった。
「ライ、ライ!」
 するどい声が響くと、彼の乗馬以外の馬も反応した。馬たちは鼻息を荒げ、その蹄で魔物たちを蹴り飛ばした。
 このわざをもって、彼は百騎の内に数えられるようになったのだった。最後尾についているのも、彼が馬群全体を見ることができるようにである。
 そして今、彼は東の空に陽炎がたつのを認め、ひときわ高く声をあげた。
「ハイ! ハイ、ハイ、ラ!」
 騎兵たちも、この声の意味を知っていた。生き残っていた全騎が後退をはじめた。
「ハイ,ラ! ラ!」
 尚も魔物を斬り伏せ、黒馬の騎兵は退却してきた味方のために道をあけた。
 かれらを送り出してすぐ閉じていた城門が、今また開けはなたれようとしている。ぎりぎりと鎖が巻き上げられる音と、馬蹄の響きが混ざり合い、東門は騒然となった。
 黒馬の騎兵はまだ門内に入っていなかった。
「ライ、ライ!」
 まだ味方のもとへ帰り着かない馬たちを励ますべく、彼は声をはりあげた。どの兵も魔物の体液にまみれ、誰が誰だかわからない。
 味方を通しながら、彼は却って前に進んだ。自分がいちばん戦っていない――そんな感じが抜けなかった。役目上、最後尾にとどまっていなければならなかった。必要なことだった。だが、自分がいちばん楽をしたという感じは、どうしてもあった。
 魔物たちの動きは緩慢だった。夜明けが近いせいだ。それでも、駆け戻ってくる途中で背後を襲われ、馬上から引きずり下ろされる兵士がいた。
「ゾハン!」
 声をかけると、黒馬は即座にとびだした。跳ねとびながら、三匹ほどの兎を蹴り殺し、大蛇にも傷を負わせた。伸び上がったままたじろいだその首を、騎兵の剣が刎ねた。
 馬は、もう駄目だった。乗り手を落とされて身軽になったのが裏目に出たらしい。恐慌に襲われて、もと来た方へ駆け戻ってしまったのだ。たちまち、大蛇に囲まれた。
 乗り手の方は、落とされたその場で徒歩で戦っていた。槍をふり回し、大蛇を牽制していたが、傷でも負っているのだろうか、動きがぎごちない。
 その無防備な頭上を襲おうとした鳩の胸を、銀光が射貫いた。おどろいて防備が緩んだ男の足元を、今度は兎が襲った。だが、そのするどい前歯は空を噛んだだけだった。
 黒馬を乗り入れた騎兵が、徒歩で戦っていた兵の襟首を掴み、自分の後ろにひきずり上げたからだ。
「つかまっていろ。ゾハン!」
 名を呼べば、黒馬はそれに応えた。ふたりも乗せているとは思えない速度で、黒馬は駆けた。
 鶏の声が大気を引き裂いたのは、かれらが東門に達したのと同時であった。
 城の中に入るとすぐ、黒馬は足をとめた。
「なんであんなに遅れた! お前のせいで、馬が死んだんだぞ!」
 叫びながらふり返って、彼は自分が救った者の顔を間近に見た。思わず、声が漏れた。
「……ソグヤムさま」
 それは、東方月白領の若き領王自身だったのだ。
 領王が出撃するとは知らされていなかった。なにかの間違いではないかと眼をしばたたいたが、その顔はやはり、遠くから何度となく見上げたことのある、領王のものだった。
 つい数日前まで、彼はソグヤム太子と呼ばれていた。父王が病を得て逝去したため、即位したばかりだった。まだ王都から正式に認められてはいないが、誰もが彼を領王と呼んではばからない。
「敬称はいらんよ。ご指摘ごもっとも、だ」
 顔についた魔物の体液を手で拭おうとして、よけいに汚れを広げてしまうと、ソグヤムは自分の手の甲を見て顔をしかめ、次いで視線を上げた。
「君はウルバンだな」
 名を呼ばれて呆然としている若い兵に向かって、ソグヤムは肩をすくめた。その視線が別の人物に向かった。
「隊長、成功だ。ありがとう、無理を聞いてくれて」
 にこりともせず、隊長は答えた。
「それはなによりです」
「なによりと思っているように聞こえないよ」
 苦笑しながら、ソグヤムは馬を降りた。
「はっきりご覧になれましたか」
「夜明け前の光で見られる限界まで、ということだけどね。悪いが、兵たちを慰労してやってくれないか。必要なものは家令に言ってくれ」
 今度は手の甲を上着の裾でこすって汚れをなすりつけようとしながら、ソグヤムはその場を立ち去りかけ、ああ、と声をあげてふり返った。
「ウルバンに命を助けられた。これがうまくいけば、全員の命の恩人ということになるから、優しくしてやってくれよ」

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