what i wrote: [2002/08/15]

*W* 勝ち負け *W*
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[2002/08/15]

 わりと勝ち負けに拘泥しない方だと思う。

 自身に関して言えば「手加減をする」というオプションが設定できない。なんでも真面目に全力でという余裕のない性格ゆえに、目の前の勝負自体に集中してしまい、対戦相手のご機嫌だのは視野の外に消える。

 しかし勝敗の結果への拘泥はまた別物である。もちろん勝てば楽しいし、負ければがっかりなのだが、むしろ、勝敗に至る過程の方が気になる。真剣なので。

 とはいえ、それが勝敗という結果を明確にもたらす行為であるなら、やはり、「勝ってなんぼ」なのだろうと思う。

 もう何年前になるだろう、スワローズの監督が関根氏から野村氏に替わったとき、着任の挨拶だったかで、「優勝の味を選手に教えたい」というような言葉を聞いた。

 当時は、「楽しければそれで善し」みたいな雰囲気が好きだったから、その挨拶におどろき、べつに優勝なんかしなくても、と思った。

 だがその後、スワローズが優勝してみれば、勝利がもたらした快感は、たとうべきものがないと思えるほど、純粋で、根源的なものだった。勝利には、神々しさと禍々しさの双方がつきまとう。それは天地が繋がる祝祭空間である。

 過程を重視すれば、負けてもそれなりに楽しい。だがそれも、勝利のための努力なのだと考えれば、やはり、結果がともなった場合の喜びに優るものはないだろう。

 勝負を演じているのが自分自身であれば、過程への愉しみを重視することが可能でも、たとえばプロ野球の特定球団のファンなどであれば、過程より結果に心が傾くことの方が自然だろう。強い球団にファンが多いのは、勝利という結果だけ享受したい人が、それだけ多いということなのかも。

 本題と無関係な話題。『真世の王』の前日譚にあたる『異次元創世記』の復刊願い@【復刊ドットコム】(発端は、USAGI-YA Hompo BBS)。紹介しようと思いつつ、うっかり忘れつづけていた自分の間抜けさに脱帽。

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