約束 —真世の王・外伝—

4

 手っ取り早いという言葉の意味を理解したのは、月白領に戻ってからだった。
 かつて旅立ったとき、クルヤーグは「大きい方の若様」だった。だが戻ってきた今は、親衛兵だ。領王一家と彼のあいだには、明白な上下関係が生まれていた。
 なるほど、と彼は納得した。これは効果的だ。
 なんとおかわいそうに、と暗い顔で寄って来る者もいたが、〈王の剣士〉として領王陛下をお護りするのが自分の使命です、と平然と返してやった。今の立場に満足していることを見せつけると、だいたいの者は期待がはずれたという顔で去って行った。
 しつこかったのは、ソグヤムだ。
 兄上に王都のお話を聞くんだ、と暇さえあれば誘いに来る。暇といってもソグヤムの暇であって、クルヤーグのではないから、迷惑きわまりない。
 はじめは適当に断っていたが、せいぜい親しくしておけという剣士長の忠告を思いだした。迷った末、非番のときに遠乗りに誘った。
 土産話はともかく、馬と言葉が通じるようにする手伝いならば、できるかと思ったのだ。
 供回りも連れず、領都を出た。あのころはまだ魔物の影などなく、平和だった。
 ソグヤムは静かだった。クルヤーグは無言の方が気楽だったので、話をふろうとはしなかった。ただ、たしかに乗馬は得意ではなさそうだな、と小馬に跨がったソグヤムを見て考えていただけだ。
 ひょっとすると、少年は乗馬に精一杯で喋る方まで気がまわらないのかもしれない。自分がこの年頃というと、ちょうどソグヤムが生まれたころか。もっと自在に乗りこなしていた記憶がある——
「兄上は、お優しいかたですね」
 不意に沈黙を破って、ソグヤムはさらりと口にしたものだ。少なからず面食らわされ、反応が遅れた。
「……おれが?」
「ほかに兄がいたらおどろきます。それとも、お心当たりでも?」
 当時から、ソグヤムは突拍子もないことを口にした。幼いとはいえソグヤムなのだから当たり前、とはそのころは思いもよらない。ただ、子どもとはそういうものかと考えていただけだ。
「いや、そんなものはない」
「そうでしょう。わたしが兄上とお呼びするのは、クルヤーグ兄上だけです」
 理屈っぽいくせに無茶苦茶なことを言うのも、昔からだった。
 ぽくぽくと馬を進ませるソグヤムを見下ろして、ちゃんと話しておこう、とクルヤーグは考えた。
 自分を兄と呼んではいけない。これからは主従のけじめをつけねばならぬのだ、と。
「ソグヤム様」
「様はやめてください。わたしたちは兄弟も同然です」
「おれは〈王の剣士〉で、領王陛下の親衛兵ですよ」
「ではわたしの命令に従ってくださるのですね?」
 得たりや応と返されれば用心する程度には、クルヤーグはソグヤムを知っていた。
「ええ、ことによっては」
「つまり、ことによっては従えぬ、と。たとえば、王様とわたしの父上とが争ったら、兄上は王様にお味方なさる。こういうことですよね」
 ぎょっとした。考えてみたこともなかったからだ。
「両陛下はご兄弟同士であられます」
「血を分けた兄弟でも、争うときは争います。歴史を学べば、血のつながりなど争いを止める役に立たぬことぐらい、わかります」
 賢しげに断じて、ソグヤムは顔をひねった。まっすぐに、クルヤーグを見上げて告げた。
「兄上とわたしに、血のつながりはありません。そして、兄上は前領王陛下の血を引いておいでです。ですから、わたしが領王位を継いだら、それを兄上にお返ししようと思っています」
 自分の口が開いていると気づくまでに、暫くかかった。
 ソグヤムは視線を前に戻した。馬にまかせておけない程度の信頼関係しか築いていないからだ、とクルヤーグは考え、今はそんなことを考えている場合ではないぞと自分を叱った。
「お断りします」
「なぜです」
 心底おどろいた、というようにソグヤムがふり向いた。
「なぜもなにも、そんな無茶なお申し出は、聞き入れるわけに参りません」
「無茶ではない!」
 ソグヤムは顔を赤くして叫んだ。真剣だ。聡いようでも子どもなのだ。クルヤーグは淡々と返した。
「無茶です」
「では、あなたは王に従ってこの月白領を攻めることもできるのか。〈王の剣士〉になるとは、そういうことだ。あなたの先祖が代々治め、護り、導いてきた土地をだ。それこそ無茶だ」
「任務とあらば」
 答えてしかし、クルヤーグはそのことについて想像してみた。
 王が、月白領に兵を向ける。そんな事態があり得るのか——無論、絶対にないとは言えない。
 ——ああ、それでか。
 〈王の剣士〉になりたいと告げたとき、領王の表情が翳った理由が、わかったような気がした。
 ——なにが起き得るかを、見通しておられたのだろうな。
 自分がどちらに味方するかは状況による、とクルヤーグは思った。無責任な言いかたをすれば、そのときになってみないとわからない。
 それより、勝ち目のある戦なのだろうか。
 王軍は、精鋭である〈王の剣士〉こそ強いが、歩兵には実力も、忠誠心も期待できない。王都の民の多くは武器の扱いを知らないだろう。領王の軍は逆に、平均的な戦闘力は高く、忠誠心は篤いだろう。馬の扱いに長けた者も多い。潜在的な戦闘力は、質量ともに高いと言えた。
 とはいえ、王の軍は他領の兵も加えることになるだろうし——。
「そんなのは、間違っている!」
 ソグヤムの叫びが、クルヤーグの想念の内で整列していた軍旅を吹き飛ばした。
「間違い、と申されましても」
「戦いながら、兄上の心は血を流す。領民を傷つけながら、自分自身をも苛んで、知らぬ間に魂が死んでしまう」
「そんな」
 笑いとばそうとして、果たせない。ソグヤムは、冗談めかして受け流すことを許さなかった。
「争わずに済ませるためには、兄上が領王位を継がれるのがいちばんいいんだ。領民の多くが、そう思っている。親衛兵として服従する兄上など、誰も見たくないんだ」
 ああ、とそのとき、クルヤーグは気がついた。左手を手綱からはなし、ソグヤムの頭を掴むと、髪の毛をかき回してやる。
「それはつまり、お前のことだな」
 眼をしばたたいている少年を見下ろして、クルヤーグは微笑んだ。
「お前が、見たくないのだろう。おれが父上にお仕えする姿を」
「それは違う、いや、……わからない。だけど、でも、わたしが感じるだけじゃないんです、兄上。みんな感じてるはずなんだ。こんなの、おかしいって」
 自分がこの子と同じ歳だったとき、ここまで考えられただろうか、と疑う。たぶん無理だ。クルヤーグは目の前の少年に、愛おしさよりもいたましさを感じた。
 聡いことは、けっして楽なことではない。
「ソグヤム、まあ聞け」
 クルヤーグは敬語をやめた。その方が、ソグヤムが素直に聞いてくれそうな気がしたからだ。
「いいか、お前の案には難がある。たしかにおれは前の領王の血胤だ。だがな、今の領王は、つまり、お前の父上は誰の血胤だ?」
「……王の」
「そうだ、わかったな。当然、お前もだ。それを追い落としておれが領王位に就いてみろ。王城のやつらが黙ってはいない」
 それこそ、国をふたつに割る戦になるぞ、と静かに告げた。
 国を出たのも、〈王の剣士〉になったのも、ただそれを避けるためだ。彼が慎ましく仕えることで、まわりの認識を変えていかねばならない。誰も、クルヤーグを「もうひとりの若様」扱いしないように。
 ソグヤムはくちびるを噛んだ。うまく反論できないか、考えているのかもしれない。
「だからソグヤム、これからは、おれを兄と呼ぶな。おれを立ててはいけない。お前の方が位が上なのだと、みなに知らせるのだ。まずは態度で示さねばな。……わかるな」
 くちびるを噛んでうなずいたきり、ソグヤムはずっと黙ったままだった。くやしがっているのだろうと、無言の方が楽なクルヤーグは少年を放っておいた。適当なところで馬首を返して戻ろうとしたときだ。
「従兄弟殿」
 ソグヤムはあの空色の眼でクルヤーグを見ると、さっきまで不機嫌に押し黙っていたのが嘘のように、笑った。
「変な顔して。あなたのことだよ。兄が駄目なら、これは認めてほしい。よく考えた。たしかに、あなたは正しい。わたしは君主の息子で、兄……いや、従兄弟殿はそれに仕える兵士に過ぎない」
 几帳面に言い直したソグヤムに、クルヤーグは真面目に答えた。
「ご理解いただけて、なによりです」
「だからせめて、従兄弟殿と呼ばせてほしい」
「……は?」
「兄上と呼んではならぬと言うのだから、従兄弟殿とお呼びする。それでいいだろう!」
 文句があるか、と言いたげな目つきだった。クルヤーグは笑いをかみ殺して応じた。
「はい、たしかに」
「そして、わたしが従兄弟殿と呼ぶときは、兄上と呼んでいるのだと考えよ。これは——」
 すう、と息を吸って、それからソグヤムはにこりと笑った。屈託のない笑みは、昔、王都へ向けて旅立つときに見せた微笑より、生命力に満ちて、力強かった。
「——命令だ」
 声もまた、よく響いた。子どもの声らしい甲高さで耳に響くという意味ではなく、人を打つ口調を、ソグヤムは既に身につけていた。
「かしこまりました、殿下」
 クルヤーグは一礼し、ふたりは顔を見合わせた。
 たぶんあのとき、かれらはわかりあったのだと思う。ともに、領国の安寧を希っていると知って、心を許せるようになったのだと。
 以来、人前では完全に主従の関係を保つようにした。といって、よそよそしいと感じさせることもないように。ソグヤムは威張ったが、同時にクルヤーグになついて見せた。クルヤーグも堅苦しく応えながら、しかしソグヤムをかわいがって見せた。
 あのふたりは仲が良いと周囲に納得させるのに、そう時間はかからなかった。