what i read: 番外篇 01

*R* 『〈骨牌使い〉の鏡』と五代ゆう *R*
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[2000/10/23]

 自分がいてもオッケーな場所を探して飛翔するんです、と彼女は言った。きっとどこかにあるはずだと、そこを求めて飛んでいくんです、と。それが、自分にとっての創作なのだと。

 彼女のデビュー作が公刊されたとたん、いろいろな人に訊かれた。

 あなた、五代ゆうは読んだ? 『はじまりの骨の物語』って、どうだった?

 当時は今よりも読書傾向が翻訳ものに偏っていて、国内作家のチェックが杜撰だったので、言われなければ気がつかなかったと思う。米田仁士氏のイラストに飾られたその本を書店でみつけて買い、すぐに読んだ。

 それは北欧神話をベースに創られた、きっちりと完結した世界であり、今まで読んだ邦人作家の「ファンタジー」とは一線を画しているように感じられた。日本臭くないのだ。なるほど、みんながわたしに感想を訊くはずだと思った。

 そして、五代ゆう氏はわたしにとって「注目すべき作家」のひとりになった。

 怠慢な読者であるわたしは、氏の作品のすべてを読んではいない。デビュー作の『はじまりの骨の物語』、二作めの『機械仕掛けの神々』、ひとつとばして最新作の『〈骨牌使い〉の鏡』の長編三作品しか読んでいないのである。

 わたしがこの三作品に共通して感じたのは、世界から疎外された主人公が、同時に、世界そのものでもあるという、一見矛盾した状況である。詳しく説明するとネタバレになってしまうので漠然とした表現になるが、そういう見方で読みとくこともできるというくらいの意味合いにとっていただきたい。

 かれらが「自分」という枠にどこまでもとらわれるような、そんな感覚を意識すると、読んでいて辛くなることがあった。ことに『機械仕掛けの神々』でそれを顕著に感じ(おもしろかったのだ。おもしろかったのだが、同じくらい辛くもあった)、そのせいで「ひとつとばして」最新作を読むことになったのではないかと思う。

 だが、その最新作で、枷ははずれた。

 主人公はついに「自分」という世界の呪縛からときはなたれ、自分以外の「他者」である愛しい者と手をとりあい、ひらかれた新しい世界へと真に歩み出ることができた――と、わたしにはそのように感じられた。

 これは日本の「ファンタジー」というジャンルにおいて重要な作品であるばかりでなく、おそらく、五代ゆうという作家個人にとってもひとつの転換点を示す作品ではないかと思う。

 彼女はこうも言っていた。『〈骨牌使い〉の鏡』を書いてから、自由になった気がするんです、と。どこへでも行けるようになった気がする、と。

 おそらく、それを読む読者も同じ場所へ連れて行ってもらえるはずだ。どこへでも行ける魔法の翼を与えてくれる、そんな一冊である。

→この文章は2000年10月敢行された、高瀬彼方氏の「背水の陣」企画に併せて公開しました。

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番外篇 01: 『〈骨牌使い〉の鏡』と五代ゆう
C F〈骨牌使い〉の鏡五代ゆう富士見書房(ファンタジー・エッセンシャル)2000.02.10
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